こんにちは。最近、ちょっとだけ春めいてきましたね(*ノωノ)

『tori研』です。

今回は、すばる文学賞 第29回~第33回を研究してみようかと思います。

以下が受賞作の一覧です。

第29回

(2005年)

『踊るナマズ』 高瀬ちひろ

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第30回

(2006年)

 『幻をなぐる』 瀬戸良枝

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第31回

(2007)

 『パワー系181』 墨谷渉

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 『はじまらないテータイム』

 原田ひ香

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第32回

(2008年)

『灰色猫のフィルム』 天埜裕文

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第33回

(2009年)

 『海猫ツリーハウス』 木村友祐

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【第29回】

『踊るナマズ』(高瀬ちひろ)

中学生の男女(弥生一真)が、夏休みの課題で土地に伝わるナマズ伝説を調べることになり、ナマズに詳しい元図書館司書の男の元を訪れる。

物語は、母親になった弥生が、お腹の子供に語りかける形で紡がれる。

ナマズという、一風おどけて見えて、またぬるぬるとした質感が艶めかしくもある生き物。そこに、土地の民話、中学生の幼い恋。

これらの全て絡まった物語が、母体から子宮の中に向かって語られているという構造をとることで、さらに不思議な神秘性を醸しているとも言えるでしょう。

ナマズという、あまり小説の題材にされそうにない生き物にこだわっているのも、面白いところです。

 

【第30回】

『幻をなぐる』(瀬戸良枝)

志を持って東京の美大に行った女が、夢破れて帰郷し、更に手ひどい裏切りにあい、人生の挫折を味わうという話。

主人公を「私」ではなく、「中川」という三人称にしたことで、書き手と作中人物との距離感が保たれていて、良かったと思います。

ひたすら「煩悶する」一人の女の肖像が、シニカルに、どこか可笑しく、そして哀しく、(多少下品な表現も含めて)、とてもリアルに立ち上がっています。

「中川」が自分の顔面を殴る、という印象深いシーンでは、「幻」という実態の曖昧なものへの様々な感情が、ここに集結したようで、非常にシュールだと感じました。

 

【第31回】

『パワー系181』(墨谷渉)

180センチを超える体格の女が、男顔負けのパワーを求めて、自らの肉体を鍛える。その女が自宅とは別に借りたマンションの一室で、奇妙な商売をはじめる。

女は密室で客と二人きりで過ごし料金を取るが、決して性的な奉仕をするわけではない。

だから風俗とは違う。と女は言う。

風俗ではない。が……。

それはもっと倒錯した関係性を、客の男たちに提供する行為であり、暴力的な危険性を伴う展開へと傾く。

少し変わった角度から、「快感」というものに近づいていて、強靭な肉体に反発しながらも引き寄せられていく(男側の)屈折した心の状態が、鋭く描かれていて、どこか滑稽でもあります。

 

『はじまらないテータイム』(原田ひ香)

ある結婚式に出席するしないの話を中心に、4人の女たちが登場し、波乱含みの展開を繰り広げます。

小説として読みはじめ、ずっと小説のつもりで読み進めたのに、読み終わった後は、なんだかよく出来た劇を見せられていたかのような、そんな感覚がしました。

作者の経歴を見ると、ラジオドラマのシナリオも書いているようで、納得。

女たちの率直な心情がそここに溢れていて、現代的でリアルな4人の女性像が、さらりと描き分けられています。

ともすると重くなりがちな内容にも関わらず、さばさばとした印象を持ちました。その印象そのものが、女たちの強さや本質であるというようにも感じられました。

 

【第32回】

『灰色猫のフィルム』(天埜裕文)

母親を刺殺して逃亡する「僕」は、河川敷に暮らすホームレスたちと出会い、彼らと共に過ごしはじめる。

灰色猫というのは、「僕」が一番世話になったホームレス(「ハタさん」)の飼い猫で、最後は殺されてしまい、その容疑が「僕」にかけられてしまう。

はじめから最後まで孤独で、救いようのない話。

頻繁に出てくる、公衆トイレでの不潔で生々しい描写に、のけぞりそうにもなりますが、その反面、妙に文章が美しいとも感じました。

「僕」の視覚を通して描かれる世界には、余計な不純物がありません。

「僕」は、他人に感情を曝け出すことはなく、作中でもほとんど、何を考えているのかは語られません。そこにあるのは、ひたすら「僕」を取り巻く世界と、そこで起こった出来事です。

ただ、ラストに至って、「僕」は狂気という一つの感情めいたものを突きだしてきます。

暴力的で残酷で醜悪。それでいて透明感のある文体。良くも悪くも印象に残る作品です。

 

【第33回】

『海猫ツリーハウス』(木村友祐)

東北の田舎に暮らし、夢を持て余した若者の、青春物語。

主人公は、服飾の学校に通い、デザイナーを目指していたが、先輩の裏切りにあい、挫折。実家に戻って、祖父の農業を手伝うかたわら、「親方」の下で、ツリーハウス造りに勤しむ。

感情を内に秘めるタイプの主人公は、社交的な兄の存在に苛立ち、諦めきれない夢と田舎暮らしの現実の狭間でも苛立つ。

農作業やツリーハウス造りなどが、リアルな手触りで描かれ、田舎暮らしの若者の実像が上手く捉えられていて、ありがちな話なのに、決して定型に落ちていません。

標準語の地の文と、訛り言葉の会話文の組み合わせが、独特な文体となっていて、味わい深いものがありました。

主人公にすれば、まるで裏切り行為のような”「親方」の噓”が露見してしまう顛末は、少しつくり込んだ印象でしたが、その後の展開が、非常に面白かったです。

 

【まとめ】

『幻をなぐる』や、 『海猫ツリーハウス』のように、夢を抱きながら田舎暮らしをする若者の挫折感を描いたものは、割とありがちだと思うし、実体験として描きやすいのかもしれません。

けれど、この二作はその中でもそれぞれの個性が出ていて、そこが評価の対象になったのでしょう。

『踊るナマズ』のように、あまり注目されない題材に焦点をあてるのも、面白いかもしれません。

小説の中に脚本のような味わいを持ち込んだ『はじまらないテータイム』は、構成力と展開力だけでなく、鋭い人間洞察からなる作品です。視点を順繰りに変えることで、女たちは互いの観察者となり、また被観察者にもなります。ここのところの描き方が、非常に面白い効果をあげていたと思います。

『パワー系181』は、歪んだ人間の欲望や性の暴力性、利己的な人間の滑稽さ……、様々な要素を、短い作品中に織り込んでいて、一気に読めて体感できる感じが良かったと思います。

『灰色猫のフィルム』の、リアルな描写力はかなりなもので、行間から主人公の孤独や痛みが立ち昇ってきて、少し恐いくらいです。

 

 

……以上、今回もまとまらない「まとめ」に終わってしまいましたが、さすがにここもレベルは高いな、と感じます。

みな、個性的な作品ばかりです。

共通点と言えば、何かと事件めいたものが起こる、あるいは起こりそうな気配(?)のする展開がちゃんとある作品が多いようで、その点では、ストーリー性も重視されている(もしくは許容されている)のかな、と感じました。

 

 

次回の『tori研』も、すばる文学賞第34回~)を研究してみたいと思います。

なんとか桜が咲く前に……、とは思いますが、間に合わない可能性、大です( ;∀;)

ではでは、またお目にかかる日まで(@^^)/~~~