第166回芥川賞候補作品

『Schoolgirl』

九段理江(著)

(『文學界』2021年12月号に掲載)

デジタルネイティブ世代である14歳の娘。小説は、その母親である人物の語りで、主に構成されている。その中に、語り手の娘である人物が、YouTubeで話す言葉がそのままテキストとして挟まれる。デジタル世代の娘は、現代社会が抱える数々の問題ーー自然破壊や動物虐待、治安の悪化した地域で繰り返される女性差別や彼女らへの果てしのない暴行…等々ーーに過剰に向き合っていて、このような現状をつくった大人たちや社会に対して、憤っている。一方、娘は、現実と向き合うことをせずに、妄想や虚構である小説にばかりひたり、安穏な暮らしに甘んじている母親にも憤っていて、反発している。

思考のあり方も速度も、また方法も全く違う母と娘は、まるで噛み合わない者同士のような関係にありながら、しかしどこかでは調和していて、そして繋がっている。一見すれ違っている親子の時間は、しかしそれぞれの14歳という時空を超えた場所で、きちんと共鳴し合っているようにも見えてくる。

この小説には、母親は出てくるが父親は登場せず、息子もいない。いるのは、母親と娘。血縁の関係にある、しかし世代の違うそれぞれの女性が、それぞれの目線で、やり方でーー母親は小説的な語りで、娘は、YouTube配信という形でーー何事かを訴えていて、そこには確かに人間的な手触りがある。『内面』がある。つまり、人間の内側だ。心、あるいは思考。

また、作中には太宰治の小説が出てくるが、もはやオマージュという域は超えて、作中に完全に太宰イズムを溶解させてしまっている気がする。もしも太宰治がこの時代にいたら、確かにこういう小説を書くかもしれないな、とは思わせるような書き手の魂胆が見え過ぎてもいて、そこに共感を覚えるか否かが、本作の評価の分岐点になるのかもしれない。

作品としてはよく出来ていて、候補作の中で一番楽しく読ませていただきました。