第166回芥川賞候補作品

『オン・ザ・プラネット』

島口大樹(著)

 

自主映画を撮影するため、大学の友人4人で鳥取砂丘を目指す「ぼく」。

小説は「ぼく」なる人物の一人称語りという形であるのですが、実際に小説を書いているのは、「ぼく」の友人の1人である「俺」(島口)なる人物です(作者自身と同名ですが、ここが完全に一致した人物であるとも限らないでしょう)。

映画の中の映画のように、小説の中に小説が取り込まれていて、さらにその中に自主作製された映画のシーンが取り込まれている、という形で、構成がしっかりしていたと思います。

人間の視覚と、視覚が捉えたことを記憶として記録するメカニズムが、カメラの有する機能と非常に近いもの、というよりほとんど同列に扱われている印象があります。

人間の目は世界を捉え(見て)、脳はそれを記憶(記録)する。そこになんらかの思考や感情が付随するのは、世界を見て記憶していた時点(過去)ではなく(その時点でも確かに何かを考えているのですが)、記憶を思い出している時点(現在)においてであり、あくまでも見て記憶するまでの行為は、カメラのメカニズムとほぼ同じであると捉えているような所があります。

そこに、見ている、あるいは記憶している自分とは何か、とか、そもそも自分が見ている、記憶している世界とは何か、とかいう哲学的な問いかけが発生するわけですが、作品が提示しているこうした問いかけは、科学者や哲学者が既に辿り着いている問題提起の範囲内であるような気がします。肝心なのは、思想的なものがどうこうではなく、作品はこうしたことを小説という形で新たに設計し、問いかけ直した、言葉として具体的に色々な角度から眺め直そうとした、その試みの一つと捉えられる、ということなのだと思います。

そういう意味では面白い試みですし、作者の企みもきちんとした構成の中で、十分な結果を生み出せていたと感じました。

ただ、通読して気になったのは、途中に挟まれるエピソードの一つ一つが精彩を放ち得てないのではないか、という点だけでした。これも、より人為的なドラマを無理に作らないとする、自然体を意識した作者の企みであるのだと考えると、妥当な内容だと言えるのでしょう。

ラストに加えられた鳥のエピソードは、面白かったです。