騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

『騎士団長殺し』

(第1部 顕れるイデア編)

    村上春樹著

  (新潮社)

 

ノーベル文学賞の呼び声が高い村上春樹さんの最新作とあって、かなり話題になっている『騎士団長殺し』の、まずは「第1部:顕れるイデア編」を読んでみました。

私はハルキストではないので、どこまで作品の心髄に近づけるか不安ですが、ただの”一本好きの感想”として述べさせてもらいます。

(※一部ネタバレもありますので、未読の方はご注意ください。)

 

 36歳の肖像画家の「」は、突然妻から離婚を突きつけられる。

離婚の理由は分からないが、以前から妻は自分以外の男と性的関係を持っているらしい。

「私」は、着の身着のままに家を出て、愛車のプジョーで東北・北海道を一月半旅し、その後友人の父親の持ち家(空き家)に落ち着くことになる。

友人というのは、美大時代から付き合いがある雨田政彦という男で、父親は高名な日本画家の雨田具彦

その雨田具彦のアトリエである小田原郊外にある山奥の一軒家を、「私」は借りることになったのである。地元の絵画教室の講師の仕事も得た「私」は、山中での穏やかな生活を手に入れた。

そんな「私」の元に、奇妙な肖像画の依頼が舞い込んでくる。妻との離婚を機に、肖像画の仕事は辞めていた「私」だったが、依頼の報酬額に惹かれた「私」は、結局その仕事を受けることにする。

依頼主は、「私」の住む家と、渓谷を挟んだ向かいに建つ豪邸の持ち主である、免色渉という男だった。

免色には謎めいた所があり、肖像画の依頼にも、何やら別の思惑がありそうなのだが……。

美大を卒業しながらも、芸術的な野心と向き合わずに、36歳まで商業的な肖像画家という仕事に甘んじてきた主人公の現実が、彼の幼い時代からの記憶も含めて、非常に自然に、リアルに、分かりやすく展開されています。

絵画だけでなく、音楽や小説といった、芸術に関わる描写も、主人公である「私」という一人の生きた画家の視点を通して、その感性が等身大で反映された内容になっています。

そこにはとってつけたような芸術論もなければ、美術雑誌の切り抜きのような説明的な形容もなく、それでいて奥深い印象です。

特に、「私」が、山の家の屋根裏部屋から発見した雨田具彦が描いた(らしい)絵画(「騎士団長殺し」)についての描写は、ひっそりと屋根裏の住人となっていたみみずくの描写も含めて、印象深く、心に残ります。

また、芸術だけでなく、「私」が身を寄せた山の家での生活風景は、非日常的な静けさと、自然の澄み切った美しさが溢れていて、都会の人間でなくても、「こんな暮らし、してみたい」と、おもわず呟きたくなるほどです。

物語りは、隣人である免色渉という男が登場する辺りから、なんとなく怪しくなります。

そして、非現実的な存在(=騎士団長)が登場すると、それまでリアリティが支配していた作品世界が、一変します。

もしかするとこの時点で、ある種の違和感を覚える読者もいるかもしれません。

少なくとも私は、ここまで読んできて、唐突な騎士団長の出現は(その出現の仕方や、その後の展開での扱いも含めて)ある種の裏切りであるような気がしました。

ですが、その一方で、おそらくはこういう展開を目論んでいた作者の周到な計画にもどこかでは気が付いていて、それだけになんだか複雑な気持ちでした。

第2部からの展開はまだ読んでないのですが、 「遷ろうメタファー編」という意味深な副題から、かなり期待しています。