『i(アイ)』
西加奈子著
(ポプラ社)
(2017年度本屋大賞ノミネート作品)
「この世界にアイは存在しません。」
高校に入学して初めての授業で、数学教師が言い放った一言に、アイは衝撃を受ける。 ただの虚数の話だったのに、アイにはそれが、まるで自分のことを言われているかのように感じられたのだ。 アメリカ人の父親と日本人の母親を持つアイの本当の両親はシリア人で、つまりアイは「養子」だった。 国内情勢の不安定なシリアから、アメリカで暮らす裕福な両親の元に引き取られたアイは、両親に愛され、幸福な生活を送ってきた。 だがアイは、自分のこの境遇が、本当は自分ではなく他の誰かが手にするはずだったものかもしれず、幸福な時間も両親の愛情も、不当にその誰かから奪ったものではないかと怯え、複雑な感情を持ちながら育った。 そして、だからこそ、数学教師の放った言葉は、そんなアイの心に強く突き刺さり、その後長く彼女の心の奥深くに残って、苦しみ続けることになる。 |
世界で起こっている現実に視線を広げているところや、その現実を前にした主人公たちの戸惑いが、どこか直木賞を受賞した『サラバ!』と似ていると思いました。
この地球上では、どうしようもなく残酷で不条理なことが常に起きていて、それは決して自分のせいではないし、それをどうにかできる力もないけれど、自分自身は災難の渦中から(幸運にも)免れている。
アイは、この”免れている”ということの意味が分からなくて、悩み続けます。
世界で、恵まれない環境にいる大勢の人間がいる一方で、自分が恵まれていることを後ろめたく思い、そして後ろめたく思っていることすらも、傲慢であると感じ、自責します。
このような自意識の過剰さは、少し太宰治を彷彿とさせますが、西加奈子さんの過去の作品の中で、『舞台』という、非常に自意識の過剰な男を描いた作品があったことも、思い出しました。
物語中で、世界の死者の数をアイが記録しているノートが出てきます。
(ちょっとゾっとする記述ですが、そこに綴られた出来事の大半を自分も記憶していて、そのことにも、だいぶゾっとしました。)
けれど、これは戦争やテロといった、世界の残酷な現状を糾弾するとか、何らかの抗議意識をもって書かれたとか、そういう作品ではないのだと思います。
残酷な出来事の中には、地震や津波のような自然災害も多く含まれていますし、飛行機事故などもあります。
残酷で哀しい出来事は、ただ抗いようもなく起きていて、そんな世界の中でひたすらに傷つき、自分の存在する根源的な意味を見だせずにいた少女アイ。
作者は、アイの孤独な心に寄り添い、照明を当て続けます。
表紙にも(西加奈子さん自身の手により)描かれたカラフルな色彩は、この作品の目指したもの、あるいは解き放ったものの象徴だと思います。
どこまでも、人間というものを考えさせられた作品でした。
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