『クララとお日さま』

カズオ・イシグロ(著)

土屋政雄(訳)

(早川書房)

 

クララは、人間の子供の友達となるべくつくられた、人工親友(AF)で、高性能な人工頭脳(AI)が搭載されていて、人間のように色々考えたり、話したり、行動したりできます。おそらく、外見も人間とそっくりなのだと思います。

物語は、クララの視点から観察され、クララの言葉によって語られています。

クララは、病弱な少女ジョジーと出会い、彼女のAFとなりますが、店頭に商品として並んでいた時からジョジーの家に買われて行くまでの行程にもドラマがありますし、ジョジーのAFになってからも、さらにドラマチックな展開が待っています。

カズオ・イシグロといえば、日本でドラマ化もされた『わたしを離さないで』や、ブッカー賞を受賞した『日の名残り』など、繊細で優しい語り口な作品のイメージがあります。本当に、優しく優しく、水彩画のように美しく描かれているのに、世界の残酷性や人間の内面の複雑さを抉るように突きつけてきます。

本作も、そういう作品で、純真にジョジーを想い彼女の幸せだけを願って素晴らしいAFとなることだけを目指しているクララに対し、人間の側のスタンスはどこかクールで、ジョジーを含めその他の人間も、クララにある一定の愛情は注ぎますが、絶対的に超えない一線があって、決してクララを自分たち人間と同等とは見ていないのだということが分かります。しかも、それがクララの無垢な語りの中に時折り挟まれてきます。そこが、読んでいてなんとも胸が痛くなり、熱くなってくるところです。クララが、全てを理解した上でなおかつ無償の愛(もしくは忠誠)を捧げ続けるので、さらに胸が熱くなります。

こういう無償の愛や忠誠は、忠臣蔵とか、忠犬ハチ公もしくは、『フランダースの犬』のパトラッシュを思い出させて、おそらくは多くの日本人の琴線に触れてくるものだと思います。

最後にクララが店長さん(クララが販売されていた店の店長)と再会するシーンがあります。残酷であるのに美しい物語として心に残るのは、この場面があるからでしょうか。物語が、まだ終わっていないかのような期待感さえ抱くほど、クララが清らかで、やはり美しい。