第57回文藝賞受賞作品

『水と礫』

藤原無雨(著)

(『文藝』2020年冬号に掲載)

書き出しの文体を読んだ時に惹かれるものがありました。

主人公の名前(クザーノ)といい、『乾いた土地でなければならなかった』という意味不明な物言いといい、新人の文学賞という想定(そんなものがあれば)から大きく逸脱した何かを内包しているという気がして、これが期待外れにならなければいいが……という思いの中で、読みはじめました。結果としては、それなりに裏切られた後で、「ああ、でもこれもありかな」というところまで至った、という感じでした。

読み進めるに連れて、作品がある一定の範囲まで進んだ時に、また一から戻って同じ話を語りはじめ、それが何度も繰り返される……という仕組みなのがわかります。語り直される度に物語は広がりを持ち、時代を遡ったり降りたりして主人公の父や祖父、息子や孫の話へと膨らんでいく。その反復の中で、微妙に食い違うところも一部あり(甲一という人物に関してのくだりなど)、一つの単純な物語が、段々と複雑な質感を帯びてきて、登場人物より物語こそが主役だという印象でした。人物の描写のやや雑な感じも気になる所ではありましたが、作中人物たちと語り手との距離感においては、これくらいの粗さが必要なのかとも思いましたし、物語が主役ならそれもそうかと納得しました。

題名にも込められている『砂漠』や『水分』のイメージだったり、『旅』が象徴するものがあまりにも漠然としすぎていて、それが作者のどうしても書かなければならなかったという宿命的な強さにはなっていない気がして、その点において疑問は残りました。

しかしながら、それを差し引いても評価に値する作品であったと思います。何より、小説の書き方の一つのテキストとして、非常に野心的で挑戦的だったという意味で、評価します。

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に似ている雰囲気もあり、この名作と比較されたりもするのかとも思いますが、作品は独自の文体と小説世界を確立していたと思います。

個人的には、ラストの着地があまりにも上手く決まり過ぎていて、衝撃を受けるという範疇にまでは至らなかった。もっと裏切られたかったですし、それ以上に、ラストで文章としてもっともらしく提示された内容は、言葉としてよりはストーリーや展開の中に封じていてほしかったという思いがあり、しかしながらこれはあくまでも個人的な願望でしかないものであります。