『いい子のあくび』

高瀬隼子(著)  

(『すばる』2020年5月号に掲載)

 

『犬のかたちをしているもの』で、すばる文学賞を受賞した高瀬隼子さんの、受賞後第一作目の作品です。

デビュー作もそうですが、物語に読者を引き込む力の強さを感じます。

この作品の主人公は、表ではいつも「いい子」を演じていて、けれど実際の内面はそうではない、という女性です。

彼女の内面は、自分を「いい子」として扱うことで「いい子搾取」(という言葉は作中には出てきませんが)のようなことをする社会に対して、ものすごく怒っています。

その怒っている彼女が人の見ていないところや、心の中だけで繰り返している言動が、緻密にリアルに描きこまれていて、どうにも醜い所業なのに、つい共感してしまったりします。

この「怒り」を抱えた彼女の内面(「悪い子」)が、表の「いい子」と、完全に分離できていないところ、「悪い子」の中にも「いい子」の要素があり人格を複雑に形作っているところなど、人間の心の曖昧さ、危うさがきちんと描けています。さらにはその曖昧さや危うさには否応なしに対面する社会の圧力のようなものが関わっていると読めて、そこに本質的な怖さを感じます。

一人の人間の中で、複数の心の状態がせめぎあっている感じの苦悩が、「本当にそうだな」と、納得できる温度であることや、そこを徹底して描けているということが、作品の素晴らしさであると評価します。

個性とか人格とかアイデンティティとはなんなのか、ということを正面から問いかけてくる作品でした。