『終の住処』 磯﨑憲一郎(著)
(新潮社)
本作は、2009年に芥川賞を受賞していて、ということはもう11年も前に書かれた作品なわけです。当時の選評などを読むと、受賞作でありながら、中々な辛口の評価をされているところもあり、選考委員の石原慎太郎さんや高樹のぶ子さんなどは特に評価が低いようでした。個人的には、小川洋子さんと池澤夏樹さんの選評が、的を得ていたように感じます。けっこう辛口な山田詠美さんの評価が高かったのはちょっと意外でしたが、選評を読めば納得できる気がします。
本作は何処か不気味な作品です。内容はごく平凡なサラリーマン人生を送る男の結婚生活が主軸に描かれていて、特に事件というべき事件も起こらないのですが、それでいて冒頭からラストまで、終始不気味なのです。
物語の初めから一貫して、人間の意志の力とは無関係に成り立つ大きな意志のような力の存在が意識され、そこに時間が流れ、主人公の男はその時間の流れの中にただ置かれて流されているだけの笹舟に見えてしまうのです。
笹舟である彼の目鼻はぼんやりとしか読み手であるこちらには見えてこず、だから高樹のぶ子さんの、主人公の印象が薄いという意見は、ある種の的を得ているのだとも思います。
主人公だけでなく、彼の妻になる女や、浮気相手の女たち、そして彼の娘までも、まるで目鼻が思い浮かびません。作品の中で彼女らは、主人公の男の気づきの中で、1人の人格として意識されまとめられてしまうのですが、そのように最初から意識的に、個性を与えられていないかに見えます。そしてここで読者として一つの気づきに出会うのですが、本作品は人間の意志の力など遠く及ばないような大きな力(もしくは世界)の視点から描かれているのであって、そうすると小さな存在でしかない人間の目鼻など、最初から問題にされていないのは突然の事であるとも言えるのです。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が、選評の中で引き合いに出された所もありますが、(引き合いに出された上で宮本輝さんに酷評されてはいましたが)文体として、あるいは文学的な挑戦もしくは気構えとして、どこかに引き継がれたものがあるように感じられました。
個人的には好きな作品です。