猛スピードで母は (文春文庫)第92回文學界新人賞受賞作品

『サイドカーに犬』

長嶋有(著)

(『猛スピードで母は』文春文庫 に所収)

 

 

長嶋有さんのデビュー作で、芥川賞受賞作品である『猛スピードで母は』と併録されている作品です。

数年ぶりに弟と再会した「私」(薫)が、母親の家出した小学4年の夏を回想するというお話。

父親と弟と「私」の三人だけで残された家に、母親と入れ違いのようにして、見知らぬ女(洋子さん)がやってきます。

洋子さんは、おそらくは父親の愛人だったのでしょうが、「私」はすぐに彼女に懐いてしまいます。洋子さんだけでなく、何事にも真面目でキチンとしていた母親がいなくなった後の家には、父親の遊び仲間の男たちが頻繁に出入りするようになり、それまで守られてきた「規律」のようなものが一切なくなって、野放図な遊び場と化してしまいます。

けれど「私」は、そうした状況も自然と肯定的に受け入れてしまいます。

洋子さんもそうですが、この小説に出てくる母親以外の大人たち(特に代表格は父親なのですが)は、どこかしら「悪さ」のようなものを携えていて、それが子供である「私」の当時の心情とほど近い「幼さ」と共鳴しているかのようで、そこに共犯めいた絆が生まれていたような印象があります。

家出した母親への思慕もあるのですが、その母親によって保たれていた常識的な生活やルールそのものからは解放されたいという、潜在的な欲求もあったようなのです。

洋子さんという人物は、独自のルールで生きている、つまり世の中の規律に縛られない自由で毅然とした人物像として、また美しい女性として描かれています。

その彼女に対し、自分が彼女によって飼いならされている犬のようだと思う時、なぜか「私」の心は満たされます。

飼いならされてはいても、そこにはある一定の距離感を持った視点、「自立」があるからです。

サイドカーに乗った犬というのは、乗用車に乗った人間同士よりも、ちょっとだけ離れた距離で世界を見つめ、悠然と家族に対峙できる特別な存在なのです。

今回、本作を実に5年ぶりくらいに読み返してみたのですが、非常に細かいところにハッとするような人間描写が(しかもさりげなく)散りばめられていて、初読のような感動がありました。