『野蛮なアリスさん』
ファン・ジョンウン(著)
斎藤真理子(訳)
(河出書房新社)
今回は、韓国の作家、ファン・ジョンウンさんの作品を取り上げてみます。
ネットや文芸誌などで見たことがあり、どうにも気になっていた題名と表装の本でした(特に、表装の写真はかなりなインパクトなので)。
アリシアという女装ホームレスの話なのですが、冒頭からいきなり、語り手である「私」は、自分をアリシアだと紹介してから「君は、どこまで来たかな。」という奇妙な問いかけをしてきます。
そして、「私」という自らの呼称をしばらく捨て去って、アリシアのことを至近から観察し続ける視点になります。
「君」とは、誰か。
読んでいる自分だろうとは思うのですが、書き手と読み手、「私」とアリシアという人物との距離感などといったものは、この時点で既に揺さぶられています。
そして「どこまで」と言われた時には、空間や時間の間隔さえあやふやになり、物理的な感覚を超越したどこかからどこかへと自分が向かっているような(あるいは向かわされているような)、そんな妙な錯覚さえしてきます。
こうしたものは、作品を書く上での手法の一つだと言ってしまえばそれまでですが、小手先の手法でないことは、冒頭からラストまで、一度も作品が緩むことなく、その緊張感を湛え続けていたことからも言えます。
作品は、「内」、「外」、「再び、外」という三つの章からなっていて、これが意味しているところも、様々な解釈や憶測を呼ぶところです。
小説は、アリシアが生まれ育った「コモリ」という村を主な舞台に展開します。
その村で少年アリシアが体験する、暴力や無関心といった野蛮さに彩られた生活が描かれていて、大規模な都市開発で欲望に翻弄される人々の姿なども、背景に描きこまれています。
韓国社会の闇を覗き込むような作品だったと思うのですが、高度経済成長とバブル崩壊を体験したこの国で生きている自分にも、作品の底流を流れている心情や感覚的なものは、十分に伝わるものがありました。
題名からも推察できるように、作品の重要なモチーフの一つになっているのは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』です。
児童小説でありながら、どこかシュールで独特な感性を持つこの作品が、まるで悪夢のように少年の精神世界に侵食している感じなどは不気味でもあり、暗示的でもあったように思います。
読んでいるうちに、一読者であるこちらまで、感性が研ぎ澄まされていくような、そんな作品でした。