聖水 (文春文庫)

第80回文學界新人賞受賞作品

『ジェロニモの十字架』

青来有一(著)

(文藝春秋刊行の『聖水』に所収)

 

 

 

『聖水』で芥川賞を受賞した長崎出身の作家、青来有一さんのデビュー作品です。

親族の嫌われ者でありながら、盂蘭盆には必ず帰って来る”ジェロニモ”と呼ばれている叔父の奇妙な人柄やその人生を、喉頭癌で声帯を手術し声を失った甥である青年の視点から描いています。

舞台になっている長崎県の浦上は原爆を投下された爆心地でもありますが、そのさらに昔には、隠れキリシタンの里であった歴史があり、弾圧により多くの信者たちが処刑されました。

浦上における二つの残酷な歴史を、一つの線上に捉えているのがジェロニモ叔父です。

この風変わりで嫌われ者の叔父は、犯罪歴もあり下卑た性格の人間ではあるのですが、周りの親族を苛立たせているものは、そればかりではないようです。

彼は、人々が忘れ去ろうとしている「過去」を突きつけてくる存在です。「過去」は、過ぎ去ったことではなく、今現在そして未来永劫に繋がっていく真実の延長でもあります。

親族一同が潜伏キリシタンの末裔であることを訴え続けるジェロニモ叔父の執念よりも、むしろそれを否定し続ける側の人間の方に、何かしらの後ろめたさのような心の歪み(あるいは怯え)を感じました。

そしてそれは、原爆投下という史実や、戦争の痛みとも重なり繋がって、大きな鬱屈として陰を投げかけてきます。

声を失くした主人公の青年と声なき死者たちの心もまた、どこかで繋がっているのだと思います。

それは生々しい疼きとして、作中の至る所で、何かを叫び、訴えかけてくるようでした。