『泣きかたを忘れていた』
落合恵子(著)
(『文藝』2018年春号に掲載)
パーキンソン病を患った母親の介護や、親しい人間、その家族といった人々の死、つまり「ごく身近な死」と、向き合った小説。
すべてありのままを書いた私小説とは違うのかも知れませんし、語り手の「わたし」は作者自身ではないのかもしれませんが、多くは実体験をもとに書かれたのではないかと推測しました。
語り手である「わたし」は、病気の進行とともに記憶を失くしていく老いた母親の介護に向き合うことで、親と子の立場が逆転した形で、幼かった日の母娘の時間と再会します。
この母娘の時間の、ゆっくりと揺れている感じがなんとも優しくて、そこに詳細な説明や補足はなくても、ただそれを描くだけで多くが感情として伝わってくる、という描写であったように思います。
家族に対する感情は千差万別。読み手となる一人一人が、そこに独自の感情の説明や答えを書き出せばいいもので、この小説の作者は、そのことをとてもよく分かっている、そのうえで書いている、という気がしました。
そこが素晴らしい。
おそらく作者自身の投影である「わたし」という女性は、子どもの本の専門店「ひろば」の経営者であり、思想的な意見をしっかりと持った、非常に芯の強い人物です。
けれど、本作の中では彼女の思想的な面に触れられることはほとんどなく、むしろ理屈や論理では説明不可能な、人間の感情の柔らかい部分を、繊細な輪郭で(直接的な表現ではなく、ということ)描きとっている、という印象でした。
「泣く」という当たり前の感情が、必死で生きている最中には遠ざかってしまうものなのかもしれない。本当に泣けるときは、もう哀しみをだいぶ乗り越えられたときなのかもしれない、自分はどうだろう?
読了後は、そんな自問に長い時間費やしました。