すばる 2017年 11 月号 [雑誌]

第41回すばる文学賞受賞作品

『光点』

山岡ミヤ(著)

(『すばる』2017年11月号に掲載)

 

 

中学を卒業後、実家暮らしをしながら、町の弁当工場で働いている「わたし」(実以子)。

従順だが意思表示をほとんどしない「わたし」に、辛く当たる母親と、そんな母親に対し、まったく興味を示そうとしない父親との日々。

友達もなく、工場と実家を行き来するだけの「わたし」の生活だったが、いつも立ち寄る神社がある八つ山で、カムトという名の男と出会う。

 

今回の第41回すばる文学賞は、受賞作として本作が選ばれ、佳作として兎束まいこさんの『遊ぶ幽霊』が選ばれました。

選評を読むかぎり、最終選考に残った五作品ともそれぞれに美点があり、ハイレベルな選考だったようです。

実際、作品を読んでみて、選考委員が惹きつけられたのも、納得できる気がしました。

鄙びた町に工場があって、パッとしない生活を抱えた主人公がそこで働いている、という設定だったり、その主人公がいつも通っている神社への参拝途中で、いわくありげな男と出会ってしまう、というストーリーも、どこかしら既視感を抱えていますが、これらはそもそもはじめから、意識された定型としての記号配列に過ぎないのではないかと思います。

現代社会に埋もれた様々な「不幸」だったり、「鬱屈」だったりは、バブル崩壊後の不景気が長く停滞したためか、小説にしろ映画にしろテレビドラマにしろ、何かしら描き尽くされていて、結果、敢えてそこを書こうとするなら、既視感に行きつくのは仕方のないことなんだと思います。

時代や、そこに生きる人間の生活が、ある種の定型に嵌まり込んでいるのかもしれません。そこにどんな特異な家庭事情をもった人物を投入し描こうと(本作では正にそういう事情を持つ人物が主人公なのですが)、既にその特異さこそが定型(既視感)なのです。

しかし本作は、そんなある種の型に嵌まり込んだ人物を描きながらも、言葉としては直截的に書き切らない行間の積み重ねの奥に、なんとも言えない独特な「気配」を生み出していて、その「気配」こそが、作品の真ん中にあるような気がしました。

選考委員の江國香織さんは、選評の中で次のように言われています。

小説から絶望的な気配がでていて、私にとってはその一点が、最終的に受賞に賛成した理由でした。小説から気配がでているということが。(『すばる』2017年11月号「選評」より)

言い方は違いますが、同じく選考委員の角田光代さんは、それを”はみ出す力”と表現しています。

下記は、選評での角田光代さんの言葉です。

でも、この小説はその既知感の隙間から、何か得体の知れないもの、あたらしいものがはみ出していて、それが魅力だった。(同上より)

作品が圧倒的に暗いのに、「暗黒」とか「漆黒」ではない暗さだと感じられたのも、魅力の一つではなかったかと思います。

いったい、どこから発生しているのか分からない光が一点だけあるかのように、微かな(本当に微弱な)明るさがあって、だから作品全体がどこか静かな灰色のトーンに包まれている印象でした。

そして、なぜかこの灰色の世界の手触りが、私には妙に心地よかったのです。

小説が、描かれている内容よりも、その醸している気配だったり手触りだったりの方が、読後の余韻としてより鮮明な存在感を残している、そいう稀有な作品であったな、という感想を持ちました。

最後に、蛇足になってしまいそうですが、主人公に辛く当たり続ける母親の異様さだけは、前に述べた「定型」とは異質な存在として、強く心に残りました。

 

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