第60回群像新人文学賞《優秀作》
『天袋』
上原智美(著)
(『群像』2017年6月号)
大学時代の演劇仲間だった同棲相手の男にお金を持ち逃げされ、仕事も住む場所も失った女は、かつて自分が住んでいて、今は別の住人が暮らすアパートの部屋に侵入する。
そして、何かに導かれるように、部屋の押し入れの天袋に入り込み、そのまま身を隠した。 現在の住人である声優志望の女(亜美)の生活を覗きながら、息を殺して天袋で暮らしはじめた女は……。 |
第60回の群像新人文学賞には、残念ながら当選作がありませんでした。
優秀作として、上原智美さんの『天袋』と、李琴峰さんの『独舞』の二作が受賞されています。
今回は、上原智美さんの『天袋』を読んでみました。
読了した感想としては、非常に面白く、なぜ優秀作にとどまったのか、やや疑問に思えるほどでした。
まず引き込まれたのは、他人の部屋の「天袋」という場所で生活し続けようとする、女の異様さです。
部屋の住人である亜美の生活を、ブログやスケジュール帳などをとおして覗き見ていく様などが、とても自然であることに、更なる異様さを感じました。
主人公の女には、この異様な状態を日常化させて、逃避の中に新しい生活を切り開こうとしている気配さえあり、その異様さの裏側に、絶望的な孤独が見えるようでした。
ラストの展開では、賛否が分かれるのかもしれません。
選考委員の辻原登さんが、ラストの惨劇に用いられた「包丁」に込められた意味についての言及をされていて、興味深い洞察だと思いました。
”選考の際、私はまだ「二本の包丁」に気付いていなかった。ラストの惨劇の謎が解けていなかった。”(『群像』2017年6月号「選評」より)
としていて、これに気付いていなかったので、作品を当選に推せなかったことを後悔している、という趣旨のことを述べられています。
「二本」というのは、一つは住人の亜美がストーカーによって刺されるという惨劇に使われた包丁で、もう一つは、主人公の女の恋人が、かつて女の部屋から持ち去った包丁のことです。
確かにそう考えると、物語はだいぶ違った様相を呈してきます。
この「包丁」だけでなく、細かく読みなおせば、もっと色々な発見がありそうな作品でもあります。
優秀作とはいえ、かなりな実力のある書き手であることは、間違いありません。
今後のご活躍を期待しています。