『もう生まれたくない』
長嶋有(著)
(講談社)
空母の中の郵便局を夢想する首藤春菜、春菜の同僚でオタクのシングルマザー小波美里、掃除の「おばちゃん」と呼ぶには若くて色っぽい清掃員の根津神子、大学の非常勤講師の布田利光、布田の教え子の小野珠樹と安堂素成夫……、その他複数の人物の視点からなる作品。
2011年から2014年の間に伝えられた有名人の訃報を受けて、それぞれの人物がそれぞれの感性で、それらの死を悼み、向き合う。 |
「生まれる」ということは、「いつか死ぬ(絶対に)」ということの裏返しなんだな、と当たり前のことをしみじみとかみしめながら、読んでいきました。
作中で扱われる「死」の多くは、有名人たちの「死」であり、多くの日本人が無意識の中に共有している「公の死」とでも言えるような「死」ですが、登場人物たちが個人的に触れる「死」もあり、普通に生きることの間近に、ふと気が付くと「死」がそこにある、みたいな感じに、ハッとさせられました。
死ぬことが恐ろしいというより、いつかは必ず誰でもが死ぬのに、ほとんどの人が(それでも)普通に生きている、ということの不思議さを思いました。
「死」を題材にしながら、「生きる」ことの哀愁をこそ、伝えようとしている作品なんだと思います。
作品は途中まで、登場人物ごとに区切られた視点が、リレー方式で順繰りに巡っていくのだと思っていましたが、リレーの順番は不規則になり、時には一つの場面の中で複数の人物の視点が交互に切り替わるところもあったりして、より自然な流れを作っていると感じられました。こうした手法的な工夫が、さりげなくされているところが、「さすがだな」と思います。
私が登場人物の中で一番気になったのは、蕗山フキ子という人物ですが、これは、長嶋有さん作の漫画『フキンシンちゃん』の主人公だそうです。