8月19日に第157回芥川龍之介賞が発表され、沼田真佑さんの『影裏』が、受賞されました。
今回は、受賞作品及び候補作品を改めて振り返ってみます。
以下、過去に投稿した読書感想を元に、まとめてみました。(※あくまでも、個人的な読書感想のまとめです)
【受賞作品】
沼田真佑(著)
(文藝春秋)
東京の親会社からの異動で、盛岡市郊外に移り住むことになった主人公の「わたし」は、同僚の日浅と知り合い、釣りを通じて親しく付き合うようになる。
やがて、震災が起き……。 |
日浅というのは、「何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできて」いる男で、震災をきっかけに、「わたし」は、その男の秘められていた部分を知ることになります。
震災を題材にしていますが、描かれるのは、マイノリティな立場からみた「崩壊」と「喪失」であり、その痛みが抉り出された作品だと思います。
大事なことは、あえて書かれず、書かれていないことの中に埋もれたものを探していく、という手探りな読書でした。
”電光影裏に春風を斬る”という、禅語からとられた『影裏』という言葉。これに作者がどのような意図をこめたのか……、私はまだ、不完全にしか掴みきれていない気がします。
【受賞作以外の候補作品】
(※以下、表記は作者の名前の五十音順です)
『星の子』
今村夏子(著)
(朝日新聞出版)
小さいころ、体が弱かった「わたし」。
ある時、湿疹が治らずに症状が悪化した。専門医にみせ、あらゆる民間療法も試みたが効果はなかった。 案じた父親が会社の同僚(落合さん)に相談したところ、”水が悪い”と言われ、ある「水」を渡される。 『金星のめぐみ』という名前で売られてもいるこの水を使ってみたところ、「わたし」の湿疹はあっけなく治った。 それ以降、両親は、『金星のめぐみ』を扱っている団体に入会し、その教えに傾倒していく。 |
芥川賞の選考では、『影裏』と、この『星の子』の二作品が残って、最終的な投票がされたようです。つまり、受賞こそ逃しましたが、かなり惜しかったのです。
個人的には、ラストの、両親と三人で星を眺める場面が印象的で(この場面は、妙に長すぎる印象もあるのですが)何とも言えない不穏な余韻が残りました。
どことなく童話的な雰囲気もあり、それでいて、どこか不気味。
今村夏子さんの独特な世界が展開されていて、個人的にはとても好きな作品です。
特に、「南先生」への片想いと、その後の顛末は面白かったです。
『真ん中の子どもたち』
温又柔(著)
(集英社)
日本人の父親と、台湾人の母親を持つ天原琴子(ミーミー)は、台湾で生まれて、3歳から日本に移り住んだ。
19歳の年、中国語の専門学校である漢語学院で学ぶために、家族と離れ、ひとり上海へ……。 |
言語と人間のアイデンティティが、切っても切り離せない関係にあるのだと、琴子(ミーミー)という女性の青春物語を通して気付かされた気がします。
普段、何気なく使っている日本語ですが、それが生まれてこの国に定着してきた歴史、というものにも思い至り、壮大な時間の経過や重みさえ感じました。
異文化と共存するということは、文化だけでなく言語も共有するということなんだなあ、と当たり前のことにも気づかされ、”そもそも『言語』ってなんなんだ?”という、根本的なところから問い直されたという気がしました。
『四時過ぎの船』
古川真人(著)
(新潮社)
「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」
ノートに自分の字でそう書いてあるのを見て、吉川佐恵子は、孫の稔がひとりで船に乗って島に来るのだということを思い出し、船着き場まで迎えに行かねばならないと思う。 |
前作の『縫わんばならん』の姉妹作とも言うべき作品で、長崎の離島が舞台です。
既に亡くなっている祖母と孫、二人の時間軸が並行して進んでいき、それぞれの『午後四時過ぎ』に向かっていきます。
構造的には前作よりも整っていて、読みやすくなった気がします。
壮大な一族の物語は、さらに続くのでしょうか?
家族(一族)の物語ですが、人間そのものに対する深い愛着のこめられた作品だという印象です。