第37回野間文芸新人賞受賞作品
『愛と人生』
滝口悠生(著)
(講談社)
映画「男はつらいよ」シリーズの39作目『男はつらいよ 寅次郎物語』で、寅次郎と共に母親を探して旅をする少年「秀吉(=「私」)が、映画の登場人物「美保純」と、27年後に、伊豆の温泉宿に逗留し、昔を懐かしむ。 |
《映画と小説と現実が、繋がり、絡み、溶け合う》
昭和を代表する映画「男はつらいよ」の世界が、小説の中の現実世界との境界線を失くした姿で再現されます。
そこでは、映画の中での登場人物である寅次郎の人生に思いを馳せる渥美清がいます。
「フーテン」という現実離れした生き方を選んで、それがすっかり人生そのものになってしまった男の生き様は、様々な角度から検証され、非現実の存在としての現実は、よりリアルに見つめなおされます。
映画がヒットしたことで、寅次郎を演じ続けることが人生そのものになった、渥美清の側の生き様も、ここに浮かび上がります。
シリーズ中の一作品中の一登場人物だった少年(秀吉)は、『私』という一人称の語りで途中から登場すると、「美保純」でありながら、同時に「美保純」演じた隣の印刷工場の娘でもあるという、けれども最初から最後までどこまでも「美保純」であり続ける女性と、映画の世界で出会い、淡い恋心に似たものを抱き、そして27年後に再会します。
この、27年後に再開した彼らの世界は、映画から地続きに繋がって来た世界でもありながら、現実とも繋がっているような不思議な場所で、そこにはもう寅さんも渥美清も存在しませんが、彼らには思い出があります。
《愛と笑いと人情、と哀愁……》
「男はつらいよ」という映画は、昭和という時代に生まれて、平成7年に公開された第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』を最後に幕を閉じるまで、ずいぶんと長く日本人に愛され続けた作品です。
そこには、愛と笑いと、人情の世界が凝縮されていて、いわゆる「紋切り型」と言われるようなお決まりな設定として、必ず寅次郎が登場するマドンナに恋をして、最後には失恋します。
これはもう、「お約束」と言ってもいいような流れで、シリーズ作品全てに共通した展開でもあります。
観衆はすでに、ここのところを、映画の登場人物たち以上によく分かっているのですが、それなのにどうしても観続けてしまう魅力が、この映画には、確かにあったのだと思います。
”哀愁”と一言にしてしまうと、なんだかこれも紋切り型で、全く味気ない話になってしまいますが、「寅さん」という不思議なキャラクターが持っている”哀愁”は、どうも一言では説明しきれない、奥深さと儚さに満ちているみたいです。
滝口悠生さんは、ここのところの微妙な感覚をよく分かっていて、映画がそうしていたように、小説の行間でそれを言外に現わそうとしたのだと思います。
映画の世界観を、小説として言語化するというのは、単純にストーリーをコピーすればいいという問題ではなく、そこには映画と小説の根本的な有り方(構造)の違いが存在するわけです。
それをここまで見事に融合し、換言させたことは驚きですし、それが多くの日本人の心を捉えてきた映画でやられたことには、とても大きな意味があったと思います。