第154回芥川賞受賞作品
『異類婚姻譚』
本谷有希子(著)
(講談社)
結婚して4年。専業主婦である「私」(サンちゃん)は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりなことに気付く。
同じマンションの住人のキタヱさんに話すと、「気を付けたほうがいいよ」と言われる。 キタヱさんとは、マンション内の住人専用ドッグランでよく顔をあわせる。猫を飼っている者同士、動物病院の待合室でキタヱさんの家の飼い猫(サンショ)の粗相について相談されたことがきっかけで親しくなった。(のちに、サンショの粗相は重大ごとになっていく) キタヱさんは、知り合いの夫婦で顔が似てきた友人の、奇妙な話を聞かせ(その妻は、石に自分の身代わりをさせるというもの)、その話が気になった「私」は、夫に話してみたが、うまく伝わらずに終わる。 夫は、過去に離婚歴があり、前の奥さんの前ではだらしなさを隠していて格好を付けすぎたので疲れてしまい、結局別れるはめになったらしい。だから「私」の前では「本当の俺」をさらけだしたいのだと主張している。家では何も考えたくないと言い、バラエティ番組ばかり見てだらだらと過ごしている。仕事が忙しいせいなのか、とにかくあらゆることを、めんどうくさがるのだ。 そんな夫の顔が、ある日、崩れ始めていることに、「私」は突然気付くのだった……。 |
元々は顔かたちも似てない赤の他人だった者同士が、「夫婦」として暮らすうちに、知らず知らず同化していってしまうという奇妙でちょっと恐ろしくもある物語です。
夫の顔面が崩壊したり、その夫と妻である自分の容姿がだんだん似てきたりというのは、一見すると現実離れした話のようですが、むしろその裏側に潜む内面の同化の方が深刻で、こちらはかなりリアリティがあると感じました。
夫婦の関係を、互いに互いを食べ合って最後は消えてなくなるという二匹の蛇の話ーー蛇ボールーーに例えたハコネちゃん(弟の彼女)のイメージは秀逸で、同化とは、征服(相手を食べて、自分を増殖させること)と服従(相手に進んで自分を食べさせること)を、お互いに繰り返すことなのではないか、と思うことで、この作品全体の流れが腑に落ちたように感じました。
「夫婦」とは、元々赤の他人だった同士が一つの世帯に生きるということで、一つの世帯に生きるということは、人生を共有することであり、人生を共有するということは、著しく相手の個の領域に侵入することであり、そもそもこの時点で大きな違和が存在しているのですが、誰もがこれに蓋をしてしまっているというのが、本当のところなのではないでしょうか。
ここに違和を唱えれば、現状でのわが国での「夫婦」の有り方が、壊れてしまうかもしれませんから。
なお、お互いの力関係が均衡であればさほど問題もないのでしょうが、どちらかが強ければ、もう一方は相手に吸収合併されて、本来の個の姿を変えざるを得なくなっていきます。これが「似てくる」という夫婦の真実だとしたら、それはあまり幸福なことでもないようです。
物語りのラストに、作者がどのような意図を込めたのかは、意見も分かれるところでしょうが、私は何となくこの話は、読み口の軽妙さや最後に夫が可愛らしい植物になるというけなげなイメージとは裏腹に、とても薄気味悪い後味を残したと感じました。
たぶん、蛇ボールのイメージのせいだと思います。
【同時受賞作品〕
『死んでいない者』
滝口悠生(著)
(→読書感想はこちら)
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