『騎士団長殺し』
(第2部 遷ろうメタファー編)
村上春樹著
(新潮社)
村上春樹さんの最新作『騎士団長殺し』の、今回は「第2部:遷ろうメタファー編」を読んでみました。
(※一部ネタバレもありますので、未読の方はご注意ください。)
(第1部 のあらすじ)
36歳の肖像画家「私」は、突然妻から離婚を突きつけられ、家を出る。 「私」は、東北・北海道を一月半旅した後、友人の父親(高名な日本画家の雨田具彦)のアトリエに落ち着くことになる。 雨田具彦のアトリエと渓谷を挟んだ向かいに建つ豪邸の持ち主(免色渉)と、肖像画の依頼を受けたことから知り合いになり、その後、彼からはさらに奇妙な依頼を受ける。 それは、近所に住む、秋川まりえという少女の肖像画を描いて欲しいというものだったが…… |
「第2部 遷ろうメタファー編」では、秋川まりえという少女との交流が描かれます。
秋川まりえは、実は免色の昔の恋人の娘で、免色の子供であるかもしれない可能性のある少女です(まりえの母親は、免色と別れた後再婚して、まりえを産み、その後、スズメバチに刺されて他界しています)。
「私」は、一風変わった金持ちの隣人である免色という男と、まりえを繋ぐ物語に、知らぬ間に巻き込まれてしまったような状態なのです。
まりえの肖像画を描くという行為は、免色からの依頼ではあったのですが、表向きには「私」の方から申し込んでモデルになってもらうという関係性ではじまります。
そして「私」は、ただの肖像画としてではなく、画家としての純粋な立場でまりえを描こうとします。
離婚する以前の彼は、生活費を稼ぐために肖像画を描くだけで、芸術への情熱を置き去りにしてしまっていたのですが、免色の肖像画を描いた経験から、画家としての感覚を取り戻しつつあったのです。
ひとたびその感覚に目覚めた「私」は、まりえの肖像画以外にも、いくつかの絵を描きます。
その一つが、アトリエの近くにある謎の「穴」の絵です。
これは免色と共に、「私」が掘り起こしてしまったもので、それまではいわば”眠っていた空洞”だったのですが、ひとたび姿を現すと、そこは不気味な存在感を放ち続けます。
「私」によって描かれた絵は「雑木林の中の穴」と題されますが、”画家と森の奥にある「穴」”というのは、非常に意味深なイメージの繋がりがあり、面白いモチーフだと感じました。この「穴」が、物語の全編を貫くメタファー:暗喩(隠喩)そのものの象徴のようでもあります。
そして物語は、まりえの失踪という出来事により、急展開を迎えます。
第1部の時点で登場していた「騎士団長」(イデア)という非現実な存在が再び登場してきて、ここで重要な役割をします。
その他にも、「顔なが」というメタファーの化身や、「顔のない男」、「白いスバル・フォレスターの男」、「ドンナ・アンナ」など、作中には奇妙で意味ありげな登場人物が複数現れますが、こうした様々なファクターが「私」の中で絡み合いつつ、「私」を一つの方向に導き(あるいは混乱させ)、無と有の狭間を流れる川を渡らせ、「メタファー通路」を通り抜けた先の出口まで連れて行きます。
現実と非現実が並列に配された世界で展開する一連の流れは、画家である「私」の物語であるのですが、小説家である作者自身の物語とも読めるのだと思います。
そういう意味で、これは一つのメタフィクションを探ろうとした作品なのだろうと、解釈しました。
けれど、もちろん、それはこの作品の一つの側面でしかないのだとも思います。
画家が実際に絵画を描く段取りが細かく描写され、その内面世界と実際に描かれる絵画との関係性までが鋭く深く追及されているところには、圧倒的な筆力と情熱を感じました。
また、アトリエの持ち主である雨田具彦の過去や、雨田具彦本人と対面する展開には、戦争の影があり、非人道的な出来事と芸術との関係性にも触れようとした感触があります。
目に見えるものの奥に、目に見えないものが潜んでいる(作中にも、そんな言葉が出てきたと思いますが)、その気配を感じる(強く)作品で、ストーリー展開を単純に追っただけでは解されない、まだ今の時点では読みきれていないメッセージがたくさんあるようで、だから今回一読したものを、数ヶ月後かもしくは数年後、もう一度読んでみたいと思います。
その時には、なにか新たに読み解けるものがあるのかもしれません。
→『騎士団長殺し』第1部 現れるイデア編】の読書感想はこちら
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