フラミンゴの村

『フラミンゴの村』

 澤西祐典著

(集英社)

(第35回すばる文学賞受賞作)

 

ベルギーの農村で、突然、村中の女たちが、フラミンゴに変身した。

残された男たちは、事態に当惑しながらも、フラミンゴたちを村の沼地に集め、見守ることに。

時代は、魔女狩りが公然と行われていた頃で、あらぬ嫌疑による粛清を恐れた男たちは、村の外にフラミンゴのことが知られることを恐れ、隠そうとする。

そんな彼らに、次々と試練が訪れるのだった。

19世紀末のベルギーの片田舎を舞台にして書かれたこの作品は、1986年生まれの日本人が書いたとは思えないほど、秀逸な古典の匂いがします。

冒頭で引き合いに出されたメーテルリンクが『青い鳥』に、幸福の象徴を描いたように、フラミンゴというのも何らかの象徴として描かれた寓話的作品だと言ってしまえばそれまでですが、ただし、この作品の素晴らしいのは、実はフラミンゴが一体何を象徴しているのかが、分かりにくいということです。

この分かりにくさが様々な憶測や解釈を読み手に持たせて、作品に広がりと深みを与えていると言えるでしょう。

ある日突然、前触れもなくフラミンゴに変身してしまう妻たちは、夫である男たちや彼女たちを取り巻いている社会体制全般に、何らかの憤りや反発があり、決別を試みたのかもしれないし、まったくそうではないのかもしれない。

女たちはフラミンゴに身を変える場面から登場し、そしてフラミンゴに変容した後は、なにも話さないし、なにも意思表示らしきことすらしないので、この展開が何を意味しているのかは、全くの謎なのです。

その意味では、全ての読み手が、残された村の男たちと同じ立場です。

また、作品は時代背景に即した人物設定と、展開に徹していて、体験したことのないベルギーの農村の状況が、自然と伝わってきて、臨場感があります(そもそも、作品自体が象徴主義の色合いを帯びているのも、この時代ならではの文学・芸術作品の流れを反映しています)。

鋭い心理描写に長けていますが、文章自体は読みやすく、第三者である何者とも分からない「語り手」によって綴られています。

この「語り手」においては、最後まで明かされることのない、もう一つの謎として、どうしても心に引っかかってしまいました。

とにかく新人賞の作品で、ここまでの筆力と完成度の高さは、驚きと言うほかはありません。いい作品でした。