こんにちは、『tori研』です。
前回に引き続き新潮新人賞を研究してみたいと思います。
今回は、2010年~2013年(第42回~第45回)をみていきます。
以下が受賞作の一覧です。
第42回(2010年) | 『工場』小山田浩子 |
『ののの』太田靖久 | |
第43回(2011年) |
『楽器』滝口悠生 |
第44回(2012年) |
『肉骨茶』高尾長良 |
『黙って喰え』門脇大祐 | |
第45回(2013年) |
『太陽』上田岳弘 |
【第42回】
『工場』小山田浩子
『穴』で第150回芥川賞を受賞した小山田浩子さんのデビュー作です。
選考委員の福田和也氏から、「ライトなカフカ」と評された本作は、不思議な空気感の漂う作品です。
工場という場所が、得体のしれない広がりを持つ都市空間になっていて、カフカの『城』を髣髴させます。
また、「ヌートリア」や「工場ウ」なる奇妙な生体の生き物も出てきて(それらの動物に関するレポートには否定的な意見もありましたが)、想像力を掻き立てる世界観を醸しています。
現代の日本の社会で、人々の生活や労働が、一見平穏でありながら中身の空疎になってきている不穏な現実を、ユーモアあるセンスで上手く捉え、描きだせていると思いました。
『ののの』太田靖久
突然、不幸な事故で兄を喪い、後に父親も喪う主人公の物語で、彼は奇妙な街に住んでいます。空き地に積み上げられた白い本の山があり、その頂上には「のの」という鳥が住んでいて、人々を脅かしています。
また、川が氾濫し、これも人々の生活や命を呑み込みます。いったい、この白い本の山や「のの」や川の氾濫は何を意味するのでしょうか。
非現実感があり、抽象的でもあるような世界と、現実のリアルが共存していて、非常に不可解で幻想的なのに、妙に人間味のある不思議な小説です。
【第43回】
『楽器』滝口悠生
『死んでいない者』で第154回芥川賞を受賞した滝口悠生さんのデビュー作です。
一人称と三人称を交互に行き来するという実験的な作品で、これが高く評価されています。
文学が、色んなものを模索し、また期待されているんだということと、あらゆる挑戦は志があるならやってみた方がいい、という見本のような作品ではないかとも思います。
従来の学校の国語の授業で習ってきたことや、あらゆる小説の書き方本のレクチャーすら、一度は疑ってみる、あるいはその発展形を模索してみるべきなのかもしれません。
また、人称や視点が移り変わっても、登場人物のそれぞれの世界は共鳴し溶け合っていて、正に「音楽」のような纏まり方をしていて、何度読んでも不思議な作品であります。
【第44回】
『肉骨茶』高尾長良
史上最年少での受賞で話題になりました。受賞当時は19歳で、医大生でした。
物語りはマレーシアを舞台に、拒食症の少女が、食への徹底した拒絶を全うするために奔走する展開で、どこか古典的な香りのする粗削りな文体に、東南アジアの異国情緒が加わって、味わい深い印象でした。
また、食べることへ強烈な嫌悪と畏怖を持ち続けながら、妙に生き生きとした少女の内面の強さも魅力的です。
星野智幸さんは、この作品の評価として、物語が因果関係を求めていないことに注目しています。
因果が説明されないにもかかわらず、というか、だからこそ、ここには拒食の抜き差しならぬ本質が描かれる。(『新潮』2012年11月号選評より)
説明ではなく、ただ現実としてそこにあるものを切り抜いてきて、力強く描く。そういう資質に富んだ作品なんだと思いました。
『黙って喰え』門脇大祐
これも、ある意味「食」に関わってくる作品で、偶然でしょうか?
主人公(「俺」)の元に、中学時代の友人から手紙が来て、読んでみると友人の腹の中にサナダムシがいて彼に話しかけてくる。どうもその声が「俺」の声に似ているのだが、という内容。
これはずいぶんと不気味な話になるのかと思いきや、一転、物語は今時の大学生の日常になり、大学生活や恋人とのやりとり、バイト先であるしゃぶしゃぶ屋での出来事などが、軽妙に描かれていきます。
そこに、不気味な旧友からの手紙が舞い込み続ける。
物語りの展開の面白さに加えて、読みやすい文体でユーモアもあり、大阪弁での会話文もこなれていて、こうした技術面での評価が高かったようです。
最後の展開で、物語が平穏無事に終幕してしまって、その分作品を小さくしてしまったという気もしましたが、読ませる技術の完成度が、非常に高いと感じました、
【第45回】
『太陽』上田岳弘
この作品は、第27回三島由紀夫賞の候補作にもなっています。
太陽の核融合の話から、いきなりデリヘル嬢を買う男の話に飛んでしまう辺りが、この作品の魅力でしょうか。
人間の卑小な活動が、宇宙における素粒子の物語と同列であるかのように、淡々と描かれ、世界を、宇宙規模の俯瞰的な視点で捉えています。
多少軽薄な文体ではありますが、大きな視点でミクロとマクロを俯瞰して物語を素早く展開していこうとすると、こういう文体に行き着くのかもしれません。
星野智幸さんは、”テクストとしての強度が『太陽』には足りなかった――”としています。作品が、語りの勢いだけで押し切ろうとしていることに、不満があったようです。(『新潮』2013年11月号 選評 を参照)
ちなみに、上田岳弘さんは、『私の恋人』で第28回三島由紀夫賞を受賞していて、『惑星』で、第152回芥川賞候補にもなっています。
【まとめ】
2010年と2011年にかけて、小山田浩子さんと滝口悠生さんと、後に芥川賞を受賞することになる作家を二人も出していて、また上田岳弘さんは三島由紀夫賞を受賞してますし、高尾長良さんの『肉骨茶』は第148回芥川賞候補になりましたね。
新進気鋭の作家を輩出している賞なんだと、改めて思いました。
新潮新人文学賞が、かなりハイレベルになってきているという印象です。それだけに、ぜひとってみたい!と、本当にそう思いますよね。
作品のどれもが個性的で、門脇大祐さんの『黙って喰え』のように、大衆受けしやすそうな作品にも一定の評価を与えていますし、滝口悠生さんの『楽器』のように、ストーリーそのものよりも文体に重点を置いた実験的作品もしかりです。
高尾長良さんの『肉骨茶』は、完成度そのものはまだ粗削りな印象です(選考委員の方々の意見も、おおむねそのようだったと思います)が、妙な力強さと疾走感があり、また星野智幸さんが指摘されたように(上記参照)、物語に因果関係を求めずに、つまり変に理屈っぽくなく、ぐんぐん書き進めている感じが良かったと思います。
けれど、これは簡単なようで実はとても難しいことで(物事の本質を捉えていないと、そこには変な理屈からの説明なしでは何事も展開させることすら出来ないわけですから)、本質を見誤らない才能というものが必要な訳です。
……さて、まとめようとして上手くまとめられなくなってきましたが……(;・∀・)
傾向的なものをあまり感じられない、というのが、この新潮新人賞という賞の大きな傾向ではないかな……と、苦し紛れに考えたりもしています。
もっと言うと、他のどの新人賞よりも、文学と真面目に遊んだり戦ったり和んだりできる賞なんではないかな……、と思うんですよね(*‘ω‘ *)
こんなものを書いても、いったい誰が理解してくれて、誰が活字になんかしてくれるんだろう?
なんて逡巡してしまうような内容でも、ここでは試してみる価値があるんではないか、と、そんなことを思わせてくれる。そんな賞なんだと勝手に考えています。
以上、今回のまとめは終了です。(唐突に終わるんですよ、いつもね(;・∀・))
次回は、新潮新人賞の第46回以降からの研究をしてみたいと考えており、また近日中にお会いできるように、努力してみる所存です。
それでは、みなさん、ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
寒い日々が続きますので、どうぞお体にお気を付けくださいませ⛄
では、また~(@^^)/~~~