「死の花嫁」
佐藤亜有子著
(『文藝』2010年冬号に掲載)
『ボディ・レンタル』で、第33回文藝賞優秀作を受賞し、2013年に薬物による中毒で急逝された、佐藤亜有子さんの作品です。
第117回芥川賞候補作になった『葡萄』や、実父からの性的虐待を告白した『花々の墓標』、遺作となった『ママン愛人』など、「性」や「死」を題材とした作品を多く書かれています。
今回紹介する『死の花嫁』もまた、「死」が描かれています。彼女の特徴なのか、取り扱われる「死」のイメージは、余りにも切実で、臨場感と切迫感に溢れています。
東京大学文学部仏文科卒業という華々しい経歴を持ちながら、内面世界では実父から受けた性的虐待が暗い影を落としていたようで、どこかで常に「死」を意識していたような気配がします。
アルコールと薬物を併用したための急死とのことで、自殺も囁かれたようですが、真相はよく分かりません。
『死の花嫁』では、最愛にして唯一の心を開ける友人でもあり家族だった夫を、自殺という形で失った女の、壮絶な心の悲しみが描かれます。
葬儀後、急激に精神を病んだ主人公の「春香」は、アルコールに溺れて拒食症となり、職場にも行けなくなり、どんどんと「死」の方へ傾いていきます。
酔った状態だと、夫がまだ生きていると自分を信じ込ませることができる。追い詰められていく「春香」はアルコールを求め、アルコールは彼女の身体も生活も崩壊させていきます。
主人公が幻想の夫の導きで、「死」の扉に触れそうになったところで物語は終わっています。
どこにも出口がないかのような作品ですが、心に傷を負い四面楚歌の状態で苦しんでいる人が、「死」の淵のギリギリの場所で踏みとどまって、必死で書いたもの。そんな印象です。
ここには、本物の救済を求める哀惜があり、ただただ、それが儚くて脆くて人間らしくもある。
賛否両論は、もちろんあると思います。
崩壊を描き、再生に辿り着けていない。
けれど、安易な救済など、真実に苦しんでいる人間に、どれだけの意味があるでしょうか。
この作品はなにも自殺を肯定したり、自殺に読者を誘おうとした作品ではなく、作者の想いはむしろその逆にあった気がします。
文章の、一行一行の、行間の、すべてから作者の悲鳴が聞こえてくるようで、それは必至で救いを求めています。
救いを求めるということは、生への執着です。そして、生への執着というものは、決してきれいごとでは書ききれないのです。
絶望そのもののような作品ですが、不思議と読後感は悪くないというのも、妙な気がします。
第51回文藝賞を受賞した李龍徳さんの『死にたくなったら電話して』も、救いようのない暗い終わりなのに、なぜかそれほど重く感じないのに、少し似ている気がします。