「穴」
三並夏 著
(『文藝』2010年冬号掲載)
高校を卒業すると同時に就職した主人公の「わたし」は、高校時代の親友(すみれ)と久々に会う。
高校時代は、双子みたいに似ていた二人だったが、女子大生になったすみれは、すっかり華やいだ雰囲気に変貌していた。昔話に花を咲かせても、何となく距離感は遠い。 「わたし」は唐突に、すみれから結婚することを告げられる。 別の日、職場の先輩(秋岡さん)からは、「彼氏をつくりなよ」と言われる。結婚感などに話が進んでいくと、「わたし」は秋岡さんにうんざりする。彼女のような31歳になりたくないと、思ってしまう。 すみれをはじめ、彼女を取り巻くたくさんの女たちは、ことごとく結婚に夢を描いていて、家庭を持ち、子供を産んで育てることが女の幸せだという古くからの考えを、疑いもせずに受け入れている。 「わたし」は、そんな彼女たちについていけない。 「わたし」にも恋人に近いような存在はいるが、両親が不仲で離婚寸前なのを目の当たりにしているので、どうしても結婚に希望を抱くことができないのだ。 すみれの結婚式の日、幸せそうな親友の姿を見て、これが自分たちの決別だと感じる。 |
「穴」といえば、第150回芥川賞を受賞した小山田浩子さんの作品が、すぐ頭に浮かぶ方も多いと思いますが、こちらは2010年、つまり小山田さんの「穴」よりも、先に発表された作品です。
三並夏さんは、2005年、第42回文藝賞を『平成マシンガンズ』で受賞されていて、史上最年少の記録を更新(15歳で)したことでも話題になりました。
現代社会においての男性優位主義に、むしろ進んで貢献しているかのような女たちと、そこに違和感を感じ続ける主人公「わたし」の状況が、一人称形式で書かれていて、今時の若い女たちの話なのに、内容自体はずいぶん旧態依然的なものです。
今時なのに、内実は旧態依然。そこが肝心な所であるとも言えるでしょう。
男性優位社会に媚びる今時女子と、それに反感を抱きながら社会から徐々に弾かれていく「わたし」という構造は、なんとなく既視感がある気がしてしまいます。
ただし、主人公の内面が受け止める世界の歪みへの感覚は鋭くて、非常に短い作品である割には、よく描けていると思います。
大学に進学したかつての同級生たちの立ち居振る舞いかた、ファッションや化粧に至るまでが、もはや自分とは遠く隔たっていることに疎外感を受ける「わたし」は、同時に、年の離れた会社の先輩女子たちにも同じ種類の違和感を抱きます。
そんな中、後輩社員の花村さん(自分より後輩だが、大卒だから年上)が「わたし」に近づいています。
彼女は、先輩女子社員たちを、話も服のセンスも合わない「ババァ」だと揶揄して、年代の近い「わたし」に同調を求めるのですが、そんな花村さんと、先輩社員の秋岡さんが、とてもよく似ているということに、「わたし」は気が付いています。
こうした細かい「気付き」を積み上げた作品で、「気づき」の先にもう一つそれを打ち砕くような破壊力はないのですが、今時女子の今時な言動や思考回路までが、実は旧態依然の大衆心理に裏付けられている(それゆえに盤石度も半端ない)ということに気付けていることだけでも、面白いのではないかと思います。
小山田さんの「穴」とは、タイプの違う作品ですが、「気づき」と「気づいたことへの違和感」という二つの要素を踏まえていて、あながち遠くない気もします。
【参考書籍】
小山田浩子著
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