「クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰」
今村友紀(著)
(第48回文藝賞受賞作)
(河出書房新社)
注目すべきなのは、やはりこの作品が文藝賞の候補作に上がった時点で、世界が3・11を経験していたということ。選考委員の一人、高橋源一郎さんは『文藝』2011年冬号掲載の選評の中で、
……ぼくは、3月11日以降に書かれた作品であろうと思って読んだ。それは、ぼくの勘違いだったのだが、そのことがわかった後も、やはり、「以後」の小説である、という感想に揺るぎはなかった。
と言っています。高橋さんは、震災後、これからの小説が何をどう書いていけばよいのか、というところでずいぶんとお悩みになっていたようなので、この言葉はとても重く感じられます。
この作品は、新しいタイプ(あるいは新しい時代の)「不条理小説」だと思います。
ある日突然、なんの前触れも理由もなく、原爆を連想させるような爆弾が投下された(らしい)ところから始まって、なぜそんな状況になったのか、誰の仕業で、どんな目的があって、これからいったい世界はどうなろうとしているのか……一切の説明はありません。
新しい、と思いました。
物語は一貫して、主人公の少女の視点からだけ描かれ、少女の視覚に入ってきた情報と、彼女の思考力が導き出せた状況への把握、それ以外はなにも分からないままです。
ある意味、読者を完全に置き去りにしているとも言えますが、これこそが不条理の正しいあり方なのかもしれません。
ただ少しだけ残念なのは、作者の筆力がこの作品本来の大きさに、実は辿り付けていないのではないか、と思えることです。(それだけに未知数な作家とも言えるでしょう)
選考委員の角田光代さんは、選評(上記に同じ『文藝』)で、
小説でなくもっとふさわしい媒体、映画なり漫画なりの視覚的媒体で描いたほうが向いているのではないか
と、述べられています。
私自身も、そう思いました。この作品は、小説と漫画(もしくは映画)の中間にあって、その定型も出来ていない不安定な状態を彷徨っているのかもしれません。
とはいえ、物語--というよりも、世界の捉え方の大きな、非常に面白い作品であると思います。
この作家が、メタフィクションのような分野にも興味をもって、もっと小説を構造から徹底して考え抜いて書くようになれば、そういう小説を読んでみたいなと思います。
※この記事は、初読時にも一度投稿したのですが、その時点と今現在の作品の捉え方に大きな心境の変化がありましたので、それを踏まえて改稿させてもらい、新たに投稿記事とさせて頂きました。
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