「おしかくさま」
谷川直子(著)
(第49回文藝賞受賞作)
(河出書房新社)
49歳のミナミは、離婚後ウツ病になり、10年近く引きこもり生活をしているが、母親からの依頼で父親(元教師、76歳)の浮気調査をすることになった。
高校の校長まで務めた父親は、退職後もなにかと周囲に頼られて出かけることの多い人だったが、最近になってどうも様子がおかしく、女の家に出入りしているようだという。 近くに妹のアサミ(46歳)も住んでいるが、民生委員の仕事で忙しいという理由で、浮気調査に乗り気ではない。結局、母親からおこづかい(1万円)をもらって、ミナミが父親の尾行をすることに。 さて、怪しいとされる女(藤木野)の家を見張っていたところで出くわした父親に、中へ入るように言われ、ミナミはいきなり座敷に通される。 屋敷の中には、家人である藤木野アリス(73歳)の他、それぞれ年齢は不詳だが本田キョウコ、スージー奥村、馬場ゆかり、なる女たちが集っていて、彼女たちは「おしかくさま」という神様を信仰しているとのこと。 藤木野アリスによると、父親が彼女を襲ったひったくり犯を捕まえたことが、その後彼女の家に出入りするきっかけになったのだそうだ。 ひったくり犯を捕まえた時の状況が、おしかくさまのおつげどおりだったので、父親は「おしかくさまの遣わしたるもの」ということになったのだという。 おしかくさまというのは、お金の神様であるらしい。 |
「お金信仰」という設定が面白く、お社の代わりに銀行のATMをお参りする、という一見あり得ないけどあり得てもおかしくはない設定が笑えます。
また、メインの登場人物たちがけっこう年齢のいっている割に子供っぽくて、どこか緩い感じなのに、しっかり人生の甘い苦いを知っていて、それでいて何ともいえない底の明るさがあって、読んでいて心地よいのです。万人受けする、こなれた書き方だと思いました。
私は、この作品を二度読みました。
一度目の時は、お金の神様にまつわる、ちょっと現代的でコミカルなお話として読みました。お金全般に対する知識や意識を絡めたエンタメ要素の強い作品として、面白く読んだのです。
二度目は、最初の読書の時には知らなかった事実――作者が、選考委員でもある高橋源一郎さんの元奥さんであるーーを知ったうえで、読みました。
前もって注釈させてもらうと、高橋源一郎さんは、作者が自分の知り合いであることに選評で触れられ、よって、この回に関しては投票を棄権されています。
ただし、”ぼくのよく知っている方”という言い方をされていて、元奥さんだとは明かしてはいません。(受賞者のプロフィールを改めて見てみても、自らの離婚歴には触れていますが、元夫の名前には触れていませんでした。)
この事実を知ったうえで改めて読んでみると、ミナミがウツ病になったきっかけである離婚が、けっこうキツイものだったことが書かれている箇所があって、作者のプライベートと作品を混同してしまうのはどうかと思いながらも、これを選考委員として読まされた高橋源一郎さんの心境や、そこにあえて原稿を送ってきたご当人の胸の内などを想像せずにはいられなくて、これを想像して読んでいくと、不思議と切ない恋物語が作中に埋め込まれていたんだ、と気が付きました。
ただ、コミカルで面白いだけでない、もっと切羽詰まったものも、きっとあったんだな、と思えて、この作品と作者をぐっと近く感じました。
選考委員の角田光代さんは、小説が様々な疑問を投げかけながらも、どれも煮詰められていないことに言及していますが、その上で、
この未熟な中年姉妹のことを考えると、煮詰めるほうが不自然なのかもしれない。(『文藝』2012冬号 文藝賞選評より)
ともしています。
星野智幸さんは、
「おしかくさま」という宗教もどきの設定やそれをめぐるこの社会の空気の描き方は、震災後のゆがんだ感じも含めて、現在をよく捉えていると感じた。(同上より)
とし、登場人物たちの年齢と自分の年齢が近い事を述べ、その上での幼稚さのリアルを評価しています。ただし、
ラストはご都合主義的な展開に思われた。(同上より)
と、若干の苦言は呈しています。
山田詠美さんは、
〈おしかくさま〉にまつわるさまざまなディテイルがアイデアに満ちていて、非常におもしろく読みました。(同上より)
としながらも、新人賞としての魅力に関しては疑問符を付けています。
個人的には読みやすくて好きな作品ですが、確かに星野智幸さんが指摘されたように、ラストは少し作り込み過ぎていてる感じはしました。
けれど、小説全体が醸している妙な明るさと健気さが文章のあちこちから立ち昇っていて、不思議と印象に残る作品でした。
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