ボーダー&レス

「ボーダー&レス」

藤代泉(著)

(第46回文藝賞受賞作)

(河出書房新社)

 

あまり物事に熱中したり、拘泥したりすることのない主人公「僕」。

そんな僕が、大学を卒業して就職した会社で、同期入社のソンウ(趙成佑)と出会う。ソンウの独特で面白い性格にひかれた僕は、彼とすぐに打ち解けて親しくなる。

ソンウは、日本生まれの日本育ちの韓国人であるらしい。「在日」という言葉の裏にある根深くて重たいものを、僕はソンウとの付き合いを通じて知ることになる。

物語りは、ただソンウとの関係だけに終始するのではなく、新社会人になった「僕」の日常を淡々と描き、ある種の青春ストーリーのような様相を見せています。

大学時代から親交のある同期で同じフットサルチームに所属する「まっつん」(松岡)や、喫煙室で知り合った他部署の先輩「飯尾さん」、遠距離恋愛中の恋人(メールのやり取りでのみ登場)、フットサルチームの旅行で不倫関係になりそうになった「佐々木」や、同じチームで、セフレ関係になる「寺内」など。

どのエピソードも、20代の今時サラリーマンにありがちな日常の転写でしかないのですが、ただし、「僕」というとても無垢なイメージの(それでいて随所では狡猾でもある)主人公の視点で、きちんと濾過され、語られてくるので、既視感のある風景でも、そこには立体感のある世界がちゃんと立ち上がっています。

特に、題名にもある「ボーダー」という意識に主人公が所々で行きつく場面があって、ここでいう「ボーダー」とは、「境界線」のことなのですが、意識すると何でもない日常風景の中にも、無数の「線」が見え隠れする、ということを再確認させられている感じです。

こういう何でもないようなエピソードを描きながら、同時に複数の細かい「線」を描き込んだことが、物語に陰影を持たせていると思います。一つ一つは細かい「線」なのですが、それらは「僕」という世界を中心に微妙に絡まっていて、その中から「在日」という周辺に、しっかりとした野太い「線」が浮き上がっているという印象を受けました。

そうすると、「ボーダー&レス」という題名も、すごく立体的に見えてくる気がします。特に「レス」という言葉が強く意識されてきます。

ここでいう「レス」は、受賞の言葉でご本人が最後に添えられていた「レスポンス」(応答、返事)を意味するのでしょうし、そこには問題提起に対する前向きな姿勢が、垣間見えます。

一方で、「ボーダーレス」(境界がない)から切り離された「less」(より少ない)のイメージもあって、こちらは何となく喪失感に近い気配がして、私個人は、”「境界」と「喪失」を含んだ「友情」の物語” だという解釈をしました。

 

選考委員の斎藤美奈子さんは、主人公の「僕」の印象を、

小学生のサラリーマンかと見まがう(『文藝』2009年冬号 文藝賞選評より)

としながらも、在日コリアンという問題が抱えてきた実情におよび、過去の文学的な歴史なども踏まえたうえで、

この状況を打ち破るパワーを「ボーダー&レス」に期待するのはけっして後ろ向きの選択ではないだろう。そう思うと「小学生のサラリーマン」みたいなりーりんの無邪気さも、この小説には必要な要素だったような気がしてきた。(同上より)

としています。

田中康夫さんは、

排除でもなく遠慮でもなく、即ち卑屈でもなければ傲岸でもない。この点に於いて、長きに亘って不毛な二元論的「在日」論が幅を利かせてきた日本の文学と評論に一石を投じる作品たり得た。(同上より)

とのご意見。

藤沢周さんは、

在日の親友との関係を、起伏の見出しにくい日常の文脈の中から見据えたシンプルな作品だが、世界から逃げず実直に向き合ったものだ。(同上より)

とし、

ー(略)―「線引き」して自分を守るやり方を当たり前のようにこなしてきた自分や小説を、もう一度自らの目で見極めようとしている。(同上より)

としています。

保坂和志さんは、

小説に対する素朴なイメージとこれから書こうとする作品の設計図が事前にあり、―(中略)― 設計図どおりであるがために既成の尺度だけで測られる受動的な作品の域を出ない。(同上より)

と、少し辛口な評価でした。(「受動的」というのは、同時受賞作である「犬はいつも足元にいて」が、読者に能動的な読み方を促す作品になっているのに対して、述べられています。)

 

日本人の側から描いた「在日問題」という、これまでありそうでなかった視点なので、そこを特に評価の対象にされているようですが、小説としての作者のしっかりとした取り組みの姿勢も、作品に力を与えているのだと思います。

 

※本作品は、「犬はいつも足元にいて」(大森兄弟)と、同時受賞でした。 (→読書感想はこちら)