「後悔さきにたたず」野水陽介著
(第53回群像新人文学賞受賞作)
一浪して大学に入り、三年時に留年したために25歳で大学を卒業しようとしている主人公のサクライは、大学生活のほとんどをコンビニのアルバイトとして費やしてきた。元々大学に入ったのは野球がやりたかったからで、そもそも浪人したのも高校生活を野球に没頭してしまったからである。ところが、いざ大学で野球の部活をはじめてみると、先が見えてしまい、それではと独立リーグのテストを受けることを決め部活を辞めてしまう。そのテストも通らなかったから、結局そこで野球は辞めることになる。大学へは、野球を辞める為に入ったのだと気づいた彼は、その後はコンビニのアルバイトに精を出すのだった。何かしら他人にはない独自のルールを作っては、その法則内で奇妙な日常を生きているサクライという男の、少し変わった青春ストーリー。 |
他人からしたら一見どうでもいいようなこだわり――誰も見てないくても、仕事をきっちりすやりぬくこと。その為のやはりどうでもいいような面倒くさい方法や裏技の数々――を持ち続けるサクライは、ただのアルバイトのコンビニ店員という職種を極めていて、まるで職人のようです。彼は自分に与えられた仕事を、天職として楽しんでいるかのようで、それが不気味でもあります。
なぜなら、大学を卒業したら、もうこの仕事は辞めることを最初から決めてあるからです。
ただの腰掛でしかない仕事なのに、なぜここまでひたむきになれるのかが、どうしても理解できなくて、そこが不気味なのです。
しかも中途半端なことが嫌いなサクライは、大学4年生の時間を就職活動には一切あてずに、ひたすらコンビニのアルバイトに明け暮れるのです。ようやく卒業し、バイトを辞め、その段になって一人感傷に浸る時に、「後悔あとにもたたず」と言っている割には、あまり悲壮感が無くて、これも不気味。
個人的にはこの主人公のサクライという男を最後まで理解することが出来なかったので、物語に感情移入できませんでしたが、選評では彼のキャラクターが魅力的だったという意見が多かったようです。
【田中和生氏】
読みだすと面倒ごとに巻き込まれた気がするのだが、読みおわるとずいぶん「サクライ」が好きになっている自分に気づく。(『群像』2010年6月号 選評より)
確かに、理解は出来なくても、まわりとは違う規則性を持っているサクライという男は、やはり変わった行動をとるので、何でもない日常がそれによって不穏な方角へ移行してしまいそうになります。店にやって来る面倒くさい客や、店の前でたむろする若者たちとのトラブルのシーンは面白く、ここから何かカタルシスへ繋がるものが生まれるのかと期待していると、期待したほどまでには話が展開することはなく、それなりの盛り上がりを見せた所で、急に収まりのいい形で鎮静化して、次に進んでしまいます。
選評で長嶋有さんが
一方の作者の規範(作中人物をこういう目にあわせる。こういうことは書かない)も一貫しているが、こっちの規範は安全でやや退屈。(同上より抜粋)
と、言っているのは、ここらへんのもどかしさではないかと思います。サクライという変わり者のキャラクターに対して、それを操縦する作者の普通さや逃げの姿勢を残念がっているのでしょう。長嶋有さんは続けて、
あげく「五年間はちょうどこの一杯の白いごはんのようであった」って、おまえがそれしか食わせないって決めただけだろうと不満が残る。(同上より抜粋)
と続けていて、確かにそういう不満は残りました。
風変わりであることを売りにしているかのような人物の日常を淡々と描きながら、最後は妙に都合よくまとまったな。もっと壊れた世界を通り越した先にある、何かを読みたかったな、と、これはあくまでも個人的な感想であります。
余談ですが、コンビニを舞台にしていて”「普通」であるとはどういうことか”を、「不思議ちゃん」キャラの目線を通して問いかける村田沙耶香さんの「コンビニ人間」(→読書感想はこちら)と読み比べれば、本作の方が先に書かれていたかもしれませんが、いかに作者が本質から逃げ腰であったかがわかるのではないでしょうか?
※第53回の群像新人文学賞は、淺川継太さんの「朝が止まる」(→読書感想はこちら)も同時受賞されています。