蹴りたい背中 (河出文庫)

「蹴りたい背中」

綿矢りさ著

(第130回芥川賞受賞作)

 

 

当時19歳。史上最年少で芥川賞を受賞(金原ひとみ「蛇にピアス」と共にダブル受賞)して、かなり話題になりました。「インストール」( →読書感想はこちら)で、第38回文藝賞を受賞した時も、史上最年少の17歳という若さでした。二作とも女子高校生を主人公にしていて、体験の近いこともあってか、その内面や日常が、かなりリアルなタッチで描かれています。

 高校生である主人公の「私」(ハツ)は、孤高なスタンスを持ち続けるが故、クラスで浮いている。中学校時代からの友人(絹代)はいるが、彼女は男女混合寄せ集めのグループの仲間入りをしていて、「私」もそこへ引き入れてくれようとはするが、グループを抜けて「私」と二人だけの時間を過ごすことはやめてしまった。ので、「私」は孤独である。

 理科の時間。同じくクラスに友達がいない「にな川」と実験で同じ班に組み込まれたことで、彼の知られざる顔――ファッションモデルのオリチャンの熱烈なファンである――を知るきっかけになる。「私」が中学校時代に一度だけオリチャンに直接会ったことがあるのを知った「にな川」が、その時の話を聞こうと、部活終わりの「私」を待ちぶせて、自宅部屋に誘ったのだ。

「にな川」の素の部分を知った「私」は、他のクラスメートには感じない特別な感情を彼に対して持ちはじめる。絹代からは、「私」と「にな川」が恋愛途上にあると勘違いされるが、「私」はそうではないと反発し、反発すればするほど本当の気持ちから遠のいてしまっていくことに気付く。

 風邪で学校を数日休んでいた「にな川」を見舞ったことで、オリチャンのライブに誘われた「私」は、絹代も誘って三人でライブ会場に出かけて行く。憧れのオリチャンをはじめて直接見ることができた「にな川」が傷ついていることを、隣で見つめていた「私」は気が付いて、「もっとみじめになればいい」と、思うのだった。

「私」の「にな川」への想いは、題名にもなっている「蹴りたい」という衝動に集約されていて、思春期ものでありがちな、分かりやすい恋愛感情としては描かれておらず、そこが本作品の素晴らしい所です。作品中、どの一文を読んでも、ありきたりな内面描写はならさておらず、それでいてきちんと胸に落ちてきて、妙に納得できる感情の数々です。

「蹴りたい」衝動を駆り立てる「にな川の背中」をどう捉えるかによって、作品の読み味が変わって来ます。こちら(読者)に、「想像の余地」を多分に与えてくれている、とてもいい描き方だと思います。

登場人物中、個人的に一番気に入ったのは、絹代でした。脇役的に描かれてはいますが、単純そうで実はかなり深く物事を見抜く力を持っている人物ではないでしょうか。だからこそ、クラスで一人浮いている「私」の本質を知っていて、グループに入りながらも「私」との友情を捨て去ることができない。そして、冷めたことばかり言う「私」に、寂し気な視線を向けてくる。もちろん、彼女を単なる偽善者として理解することは可能ですし、そういう捉え方も出来ると思います。そういう余地も、作品は置いてくれているからです。

この絹代の存在が、オリチャンのライブというイベントに参加するにあたって、最も上手く描かれています。

実際のオリチャンを目の前にした「にな川」と、それを見つめる「私」。そんな「私」を見つめるさらに絹代。という構図が、とても良かったです。「私」が「にな川」を好きなのだと絹代は思っていて、それを否定すると益々そう思う。絹代に「勘違い」されることによって、さらに「私」はこの感情を頑なに否定したくなる。

もしかすると、ありがちな恋愛感情ではないとしながらも、絹代が信じるように、やはり恋愛感情なのかもしれない。そういう読み方も、一方では出来るのかもしれません。

孤高で、少し尖っている、周囲とは波長を合わせない。そういう少女を描いた作品で、王道な青春ストーリーなら片っ端から没にされそうな言動や内面告白続出の内容は、既視感のないまっさらな下地の上に、誰もが心覚えのある「孤独」という感情をきちんと積み上げていて、決して奇をてらったものではありません。

「特殊」を描きながら「普遍」を忘れない。そういう優れた作品だと感じ入りながら、最後まで読み進めました。