インストール (河出文庫)

「インストール」綿矢りさ著

(第38回文藝賞受賞作)

 

 

現在では文学界新人賞の選考委員を担われるようになった綿矢りささんの、デビュー作であり、ベストセラーになった作品です。

 自称変わり者。けれど実際のところ、同級生の光一に言わせれば特別を気取っているだけのありきたりな女子高校生に過ぎない主人公の「私」。悟りきった調子でカツを入れてくる光一に、ふと優しい口調で「休養とったら?」と言われて、疲れている「私」は、学校を早退。それから登校拒否児となる。

 そのことは、二人暮らしの母親には内緒だが、仕事の忙しい母親は簡単に誤魔化せてしまう。引きこもると同時に部屋に物がある状態が気に入らない「私」は、母親に内緒で家具や小物を一気にゴミ捨て場へと運び、最後には亡くなった祖父の思い出の品であるコンピューターまで運び出してしまう。

 ゴミ置き場にコンピューターを運び終えると脱力して途方に暮れてしまう。

 そうしていると、同じマンションの住人らしい一人の子供(かずよし)に声を掛けられる。会話の流れから、コンピューターは子供に譲ることになる。

 数日して、同じマンション内に住む母親と顔見知りの女性の部屋を訪ねると、そこにいたのが、くだんの子供だった。

 聞くと、貰ったコンピューターは押し入れに隠し、インストールしなおして使えるように配線まで引いていた。感心していると、子供の方からある仕事をしないかと持ち掛けてくる。

 よく話を聞くと、知り合いの風俗嬢になりかわって、チャットでHな会話をするという内容である。どうやら子供は、不登校である「私」のことまで「インストール」してくれようとしているみたいだった……。

前半のあらすじをざっと書いてしまいましたが、この小説の素晴らしいのは、これだけあらすじを書いたところで、実際に読まないと本当の価値が掴めないところです。

河出文庫から出版された本書末尾に、高橋源一郎さんが「選ばれし者」と題した解説を寄せていますが、作品のごく一部を引用して、「完璧な文章」と称賛されているとおり、確かに彼女の日本語力は素晴らしいと思います。

過不足なく書くべきことが書かれていて、なおかつ等身大の女子高校生の瑞々しさや、その内面で蠢いている感情の体温までが伝わってきます。当時の文藝賞としては、史上最年少の17歳がこれを書いたのですから、大人は驚いただろうな、と想像します。高橋源一郎さんの賛辞には、多分に嫉妬も含まれていたのではないでしょうか。

”女子高校生と小学生のコンビが風俗チャットで金稼ぎをする”という衝撃的な内容は、10年以上の時を経た今読んでも面白いのですが、ストーリーだけならこれよりもっと派手な仕掛けもできるでしょうし、ITに関する情報だって、もっと詳しくて専門的に書ける人はたくさんいると思います。

けれど、等身大の女子高校生の、作り物臭くない世界を素直に書ける人は、そんなにいないと思います。たぶん、本物の女子高校生の日記ですら、きっとどこかに「余計な何か」が不純物として混ざり込んでしまうと思うんです。あるいは、本当に純粋過ぎて、読むべきものが何もないとか。

大事なことを、大事なこととしてきちんと把握して、そこだけ上手く切り抜いて書く。単純なことのようですが、かくある自分自身も、小説にならない小説もどきみたいな文章を幾つも幾つも書いてみて、これが一番難しい事なんだと実感しています。

ちなみに、私がこの作品中で一番気になった人物は、「聖璽」という風俗チャットの客として登場してくる、チャットの中だけの男(男かどうかも実際の所は分かりませんが)でした。見えている世界と、見えていないのに存在している世界があって、インターネットを題材にした小説を書く上では、やはりこういう「見えざる刺客」的な恐さを描くことも大事です。本作は、時代の先駆的にインターネットを取り込んで書かれているのですが、こういう細かい部分も手ぬかりなくやっているわけです。

物語りは、心に虚しさを抱いていた一人の少女が、風俗チャットという現実感のない仕事を小学生と共にした挙句、それまで手にしたことのない高額な報酬を受け取って、それでもまだ現実感のない感じなのですが、ようやく本来の自分(つまり、不登校になる前の、部屋にちゃんと家具や小物があった頃の自分)を取り戻そうとし始めるところで終わります。

まさに、インストールが完了したわけですね。

 

【綿矢りさ他作品】

「蹴りたい背中」(河出書房新社)(第130回芥川賞)

「勝手にふるえてろ」(文藝春秋) →読書感想はこちら

「かわいそうだね?」(文藝春秋) →読書感想はこちら

「夢を与える」(河出文庫)