勝手にふるえてろ (文春文庫)

「勝手にふるえてろ」綿矢りさ著

(文藝春秋)

 

 

経理課で働く20代会社員(女性)である「私」には、二人の男がいて、一人は中学生のころから片思いをしている「イチ」で、もう一人は、同じ会社の営業課で働く「ニ」で、こちらは向こうから一方的に好かれている。

「もしも結婚するなら愛する一番好きな男か、二番目でも愛してくれる男か」という、女子にありがちな悩みに翻弄されている女の物語です。こういうのは、少女漫画だったり恋愛もののライトノベルやテレビドラマなんかがさんざんやってきたようなテーマな気がしてどうしても既視感がして、いまさら文学として小説化する意味がどれほどあったのか、私個人としては少し疑問です。

けれど本作を読んだ同世代の女子からは、かなり支持されているようなので、はじめから対象を絞り込んで商業的に書かれたものだったかもしれません。

もちろん、既視感ありとは言っても、そこはやはり綿矢りささんの筆力は確かで、「イチ」に惹かれていく中学生時代の描写や、大人になった「イチ」に再会した場面でのぎこちなさや切ない感じがよく描かれていて、何気ない描写――処女を傘の取っ手部分を覆っているビニールに例えるなど――形容や比喩などもシュールで読みごたえがあります。

妊娠してないのに会社に行くことが急に嫌になって、偽造妊娠を企んで上司に産休暇届を出すところなど、なかなか面白いと思いました。

綿矢さんと言えば、代表作である『蹴りたい背中』(第130回芥川賞受賞)や『インストール』、『夢を与える』などが有名ですが、こういう作品を読むと、「同世代の同性」を意識している作家さんなんだな、と思います。

綿矢さんと言えば、文學界新人賞の選考委員でもあります。これまでの選評を読んだ限りで、あくまでも私が個人的に感じたことではありますが、最終選考作に対する意見が、とても自然で普通な気がします。自然で普通というのは、当たり前な感覚で素直に小説と向き合っている、そういう印象だということです。そして、その当たり前の感覚の中に、現代の平均的な若者が持っている自然な感覚があって、その「自然」を等身大できちんと掴んでいて、大事にされている。そういう印象です。

もし、同賞に応募されることを考えられている方は、もう一度その視点から綿矢さんの作品を読み返してみるというのも、悪くないのではないでしょうか。