乳と卵(らん) (文春文庫)

「乳と卵」川上未映子著

(第138回芥川賞受賞作)

 

 

東京で一人暮らしをしている主人公「わたし」の元へ、豊胸手術をすることを考えている姉の巻子と、その娘の緑子が泊まりにやってくる。間もなく生理が始まることを気にしている年頃の緑子は、どういうわけか母親と(主人公の「わたし」とも)口を聞かず、会話はノートに文字を書いて成立させている。巻子は緑子の父親とは別れていて、母子家庭で苦労している。親子の間には、一筋縄ではいかない複雑な感情があるようで、それがわずか数日の泊りの間に浮き彫りにされてくる。

樋口一葉の文章に影響を受け、独特な大阪弁で濃密に織り込まれてある印象の文体で、一つの文が時々かなり長いスパンで延々続くので、初読ではかなり疲れました。

私個人も樋口一葉が好きなので、単語一個一個の語感と文章のリズムが複雑に作用して、これ以上ないという一文が奇跡みたいに成り立っている、あの文体に憧れを抱く気持ちはとてもよく理解できます。

本作品では、そこに現代的な付加価値や哲学的な思考まで絡めて、読者によりわかりやすく、また面白く読めるように工夫がなされたものだと理解しました。

時々、緑子から発せられる(作中、ノートに書かれた文章として、所々に挿入されます)何気ない単語への素朴な疑問や、言いたいことを言葉にできないもどかしさがありますが、これは創作過程での作者本人の心の叫びではないかと、そんな気もしたりしました。

この言葉に対するもどかしさと、女が女であるが故のもどかしさ、そして巻子と緑子の当事者にしか分からない女同志の親子間でのもどかしさが、生きることそのものへのもどかしさ、延いては面倒さや苦しさにまで至り、それが最後の賞味期限切れ寸前の卵を互いに投げつけ合うというシュールな場面まで膨らんで、とても劇的なカタルシスを、よくもこんな形で演出できたものだな、と感じ入りました。

銭湯の女湯で、他の女の裸をガン見してしまう巻子と、それにつられて自らもガン見しているうち、裸ということや乳房そのものや「女」というものの総体がぶれてきてよく分からなくなってくる、という場面の描写など、突き抜けた何かを感じました。

「女」の象徴でもあり、母と子とを繋ぐものの象徴でもある「乳」と「卵」を、言葉の観点から、哲学的な観点から、主人公本人の肉体による感覚的な観点から、これでもかという肉厚な文体で怖気ずに書かれていて、生理の描写など、細かい部分がどれくらいまで男性読者に伝わるのかという迷いなどなく、潔くてよいです。

まだまだ若さの漲った、大変な意欲作であることは、間違いありません。ここから、「きみは赤ちゃん」までの軌跡をたどるのも、面白いかもしれません。

 

ちなみに、川上未映子さん訳で樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鴎外 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集13)

樋口一葉の『たけくらべ』が河出書房新社から出版されてます。

(『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』)

 

 

 

なお、川上未映子さんは文學界新人賞及び新潮新人賞の選考委員でもあります。