シェア「シェア」加藤秀行著 

(文藝春秋)

加藤秀行さんは、「サバイブ」で第120回文學界新人賞を受賞されていて、文藝春秋から発行されている「シェア」には、この「サバイブ」も収録されています。本作品「シェア」は、第154回芥川賞の候補作になりました。

 

IT企業を立ち上げた夫と別れ、国費留学生でITエンジニアの卵であるベトナム人のミーちゃんと、外国人相手の違法な民宿業を営む主人公。「サバイブ」もそうですが、時代の風に敏感で、そこを切り取ることが非常に上手い作家であると言えるでしょう。ただし、芥川賞の選評で宮本輝氏に

これはいい素材を手に入れたと思わせた――(略)―-主人公が興した非合法なビジネスの進捗だけでも、ゆうに長篇たりうる素材なのに、小さな箱のなかに閉じ込めてしまっている。(『文藝春秋』2016年3月号 芥川賞選評より)

と指摘されたように、どこかもったいない作品でもあります(全体的に、芥川賞の選評では、どうも「物足りない」という空気が占めていたように思われます。村上龍氏に至っては、選評で触れられてもいないのでわかりませんが)。

読みどころとしては、「サバイブ」同様、文体や作品世界がオシャレでスタイリッシュであること(これは個人的には「サバイブ」ほど私を魅了しませんでした)、ベトナム人留学生ミーちゃんの描写が実によく書けていること、題名にもある「シェア」といういろんな想像力を掻き立てる題材に目を付けたこと。この三点だと思います。

オシャレでスタイリッシュであることは、おそらくこの作家の執筆上の信念かなにかかも知れないので、あまりこれがどうとか言えないかとは思いますが、せっかくいい題材、いい登場人物を掴めても、それで台無しにしてしまった感がある気がしてなりません。

外見は今時の日本の女子大生然としていて可愛らしいのに、違法と知りつつ積極的に主人公のビジネスに加担し、悪びれないミーちゃんは、アジアの新興国の持つ底力の象徴のようでもあります。

就活で面接官に違法なビジネスをやっていることを暴露して、「それは君―-」と言われても平然とできるほど、彼女にはむき出しの強さがあります。むしろ、そんな大勢のルールに縛られた大人たちに正々堂々と意見できるまでにも強いんです。

この強さ、逞しさ、人間らしさがもっと前面に押し出されてきて、スタイリッシュな世界を打ち砕くほどに描き込まれていたら、私はこれを芥川賞に選ばなかった選考委員に意義を申し出たいくらいです。

けれど、やはり、どこまでも作品は穏やか、というか、波風を避けていて、「シェア」という現代社会が抱えたグローバルな問題にさえ、一石を投じようともしなかった。ただただ、時代の一風景をを切り絵みたいに切り抜いて、商業的に見栄え良く装丁を施した、というような仕上がりで終わってしまっている。そう言われても仕方ないのかもしれません。

けれど、だとしても、やはりミーちゃんのキャラクターは面白いし、そのミーちゃんと生きることをシェアしながら繋がっている主人公の、決してミーちゃんのようになり切れない心の脆さ、歯がゆさも共感できる気がします。

世界は弱肉強食で、それでありながらも、やはり世界中のありとあらゆる生き物がこの地球を「シェア」しているわけで、そういう世界の仕組みを数式やコードで書ける人間と書けない人間がいる。

これはそんな現実に気が付いている小説で、きっとまだまだこれから「凄いこと」「面白いこと」を見つけて、書き続けていく作家さんだろうと思います。

作中一番気に入った、ミーの言葉です。

「ミーはこう言います。『でも、それじゃあ新しいことにいつまで経っても挑戦できないです。私は道が出来るまで待つなんて嫌です。誰かが、ぎりぎりの挑戦をする誰かが一番偉いんだって、私はいつも思っています』」(「シェア」より抜粋)

全く、同感です。