狂人日記 (講談社文芸文庫)

狂人日記 (講談社文芸文庫)

色川 武大 著

(読売文学賞受賞作)

色川武大さんの「狂人日記」を紹介させてもらいます。

「狂人」と聞いて、まずほとんどの人が、”通常の感覚が狂っていて、人間的な感情や思考、常識が通用しない人間”と思うのではないでしょうか。この作品を読めば、従来のそうした考えは、おそらくは改まるかと思います。

まず、この作品が出来た背景ですが、福武文庫から発行されている本作品の、作者本人によるあとがきを読むとはっきりします。

きっかけは、まだ面識こそなかった一人の飾り職人(有馬忠士さん)の絵を、作者が目にとめたことでした。ぜひ面会したいと思っていた矢先に、有馬さんは亡くなってしまいます。遺された五百点あまりの絵を見て、その孤独な印象が、他人の作品とは思えないほどに自分の孤絶感に似ていてると感じたそうです。

また元々温めてきた小説のモチーフがあって、そこに孤独な飾り職人という肉付けが出来て、そうして「狂人日記」は生まれました。作中に出てくる、幻聴や幻覚に悩まされる主人公は、有馬さんをモデルにしたようですが、おそらく作者本人の体験や心情も重なっていると思います。

一人の孤独な「狂人」の書いた日記、という形で物語は展開していきますが、読み進むうちに「狂人とは、はてなんだろう?」と、ほとんどの人が疑問に思うのではないでしょうか。というのも、狂人自らが告白調で語っていく日常や過去の思い出が、発作として間歇的に訪れる狂気と狂気の間にすっぽりと収まっていて、驚くほど自然なのです。

しかも、感覚的な細かいディテイールや、「狂気が生まれた段階」が繊細に描かれていて、自分は体験していないはずのことなのに、なぜか理解できてしまう。途中から、「あれ?」と思うほど、狂人の世界を理解して、しかもその感覚を自分の手の届く範囲くらいの場所には意識できる。つまり、「狂気」というものが、自分ではそれまで気付かなかったけれど、自分の中(心もしくは頭)の奥深くにはちゃんとある、という気がしてくるのです。

狂人と自分との境界線もしくは、境界線と信じていた一線が、読み解くうちに曖昧に感じられるようになります。これは、もちろん、作者が意図したことだとか、小説的なたくらみとは全く違うと私は思うのです。作者がこの作品を書くにあたり、何よりも念頭に入れたことは、ただ一つだけだったろうと思います。

「伝えたい」

完全な孤絶から、自分自身を救いたい。そのために、何よりも内面を、特殊だと思われている「狂気」を、とにかく自分以外の人間に、伝えたい……。

小説自体は「読売文学賞」を受賞した作品だけに、文学として十分に成立しているものです。実際、読んでいると、「狂っているはずなのに、どうして?」と思うほど、小説そのものは抜かりなく描かれていて、それでいて、やっぱりちゃんと(?)狂っている。そこだけはさすが直木賞作家なのです。

色川さんは、生前、麻雀作家の阿佐田哲也としても活動していて、無頼なイメージがありますが、本作品の印象としては、とても物静かで心優しい人、という感じがします。

社会から締め出された人間の孤絶を描く作品は、おそらく無数にあると思いますが、たいていの作品の根底には「社会への恨み節」が流れていて、読後感の悪いものが多いようです。けれど、この作品から恨み節は聞こえてきません。聞こえてくるのは、「切実な人間への思慕」です。孤絶に追い込まれた男の、極限の心情の中に、限りなく他者を求める心と、裏切られても求め続けずにはいられない哀惜が、程よく乾いた文体の行間から浮かんできます。

生きにくい時代で、ひたすらに外の世界(社会)からの圧力にストレスを募らせている人に、この本はお勧めです。