中村文則著
(文藝春秋)
「私」とは、一体何なのか?
幾つかの手記や、人物の独白、その他添付資料やメール、などといった断片的な文章を繋ぎ合わせて、この奇妙な作品は成立しています。そして導かれるのは、”「私」とは、一体何なのか? ”という問いかけです。
ミステリーと純文学が融合されて、エンターテイメント色の強い作品になっていて、「去年の冬、きみと別れ」(幻冬舎)を彷彿とさせます。本作品の方が、「私」という純文的なテーマを前面にしているということが、個人的には魅力を感じました。
人間の狂気と殺意との関係や、記憶と人物造形の関係などといったものを、過去実際にあった事件や実在の人物の細かいエピソードに至るまで、本当にによく踏み込んで調査研究して書かれていると思います。拷問が脳に及ぼす臨床実験の記録など、恐ろしい話も出てきて、かなり刺激の強い内容です。(ただし、狂気を内在した人物造形――それも一人称つまり独白型による――の描き方は、これでいいのかな、という感覚が読み進むにつれて広がり、少しずつ違和感として残りました。あまりにも作品が完璧すぎるんだな、と後半になるにつれてその核心が掴めたように思いました)。
映画のワンシーンのようなスリリングな始まり方やその後の展開も面白く、文章も良いですし、さすが売れっ子作家さんだな、と感心して読了しました。
古びたコテージに、死んだ男の身分証明書を持った男がいて、同じ部屋には死体入りと思われるスーツケース。机の上には、死んだ男の残したらしい手記がある。そこには、
という書き出しではじまる、衝撃的な告白が続き…… ネタバレ的なことを書くのはあまり好きではないので、冒頭部分のみ少しだけ内容を紹介させて頂きした。続きは、実際に読まれて、ご堪能ください。 |
なお、本作品と合わせて読んで頂きたい作品として、色川武大さんの「狂人日記」をぜひお勧めします。中村文則さんの描く狂気が、精神科医という立場の人物視点であるのに対し、この色川さんの狂人は、患者そのものです。狂気というものが、いかに身近なものであり、そしていかに哀しく儚く美しいものでもあるのか、ということを、静かに語りかけてくれる作品です。
「狂人日記」
(色川武大著)
さらに補足ですが、本作品「私の消滅」は、文學界2016年6月号に掲載されていて、同じ号に芥川賞候補になっている村田紗耶香さんの「コンビニ人間」も掲載されていて、この号は実にお買い得だと思われます(笑)
『文學界』(2016年6月号)