『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』 高山羽根子(著) (集英社)
『居た場所』で、第160回芥川賞の候補になった高山羽根子さんの中篇。
題名になっている「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」というのは、ボブ・ディランの『時代は変わる』の歌詞の一節です。
“みんなちょっとこっちに集まって”くらいの意味でしょうか。正確には、その前に”何処を彷徨っていようと”というような意味の言葉が前に付きます。※下記()内、ディランの曲からの引用です。
(Come gather ‘round people wherever you roam )
前回の芥川賞候補になった『居た場所』も、ものすごく好きな作品ですが、本作もやはりいいな、と思います。個人的に好きな作家さんです。
20代前半かなと思われる1人の女性の幼少時代からの歴史を紐解いていくような内容で、そのどこか覚束ない不器用な程の人間の生きている息遣いが繊細に感じられる、そんな小説だったかと思います。
作品中、色んな成長過程にある少女時代が切り抜かれて、様々な思い出の時間を行ったり来たりしながら、それぞれのピースが繋がらないようで繋がっていく、その感じが実に見事だったなと思います。
おばあちゃんの背中のように、本人が気づかない(気づけない)所にある美点が象徴するものや、そこにちゃんといるのに肉眼で見えてないからいないものとされてしまう小虫だったりが、妙なエロチシズムと繋がっていて、そこも非常に好きなところです。
彼女の作品は、いつもどこか掴みどころのないものを、掴み所のないままに差し出してくるという特徴があると思うのですが、それでいてその掴みどころのないものたちは、どこか心の深いところでは、ちゃんと掴めている、という気もしたりします。
彼女の作品は、細部に不穏さと愛嬌(ユーモア)があり、その二つがちょうど良い感じで同居しているので(少なくとも私にとっては)読み心地が最高です。読み手に色んなものをちゃんと委ねてくれている感じも、良いです。
アブラムシの一種である雪虫の描写や、本筋からズレている所にいながら本作の影の主役ではないかと思える祖母の造形など、書き出すと好きなところがたくさんあり過ぎる作品です。