『アジサイ』 高橋弘希(著) (『新潮』2018年12月号に掲載)
『送り火』で第159回芥川賞を受賞した高橋弘希さんの、受賞後第1作目の作品です。
ある日突然、理由も分からないままに妻が家を出て行って、一軒家にひとり残された夫が当惑するというお話で、ごく短い小説です。
妻の不在と同時に庭に咲いたというアジサイは、おそらく妻がいた時から咲いてはいたのでしょうが、語り手である夫は、ひとりになってみてようやく花の存在に気づくのです。
子供の頃に描いた水彩絵の具のような作りものっぽい色彩のアジサイは、妻の不在の中で徐々に色彩を変えながら、不思議なほど長く庭に咲いています。このアジサイにはどこかしら得体の知れなさがあって、夫からしたら腑に落ちないこどだらけの内面を持つらしい妻と重なっているようです。
しかし、妻がそういう内面を持つ女性であったことを、夫は妻が家を出てしまうまで気づかなかったし、気づこうともしていませんでした。
彼は優しい性格ですが、同時に仕事人間で、つまり経済的に豊かな生活を送れるだけの稼ぎがあり、自分を世間一般的には平均以上の夫だと思って疑いもしてこなかった人間です。自分たちの家庭は円満で、妻も自分も幸福に暮らしていたと思い込んでいたのです。
そこに寝耳に水のような妻の家出。
当たり前だと信じてきた日常が、突然崩れていく、それも何か大事件が起こってそうなるのではなく、自分同様に生活に満足していたと思い込んでいた妻の反逆により。
平凡な日常の中に潜む不気味な歪みを、上手く捉えていて、短いながらも静かに引き込まれました。