『月も隈なきは』

辻原登(著)

(『文藝』2018年秋号に掲載)

 

出版社を60歳で定年退職した「奥本さん」なる男が、妻と娘と暮らす平穏な生活から、独り暮らしを夢想し、そしてそれを実現するというお話。

奥本さんがなぜ独り暮らしをしたいと思ったのかの理由が最後まで分かりにくかったのですが、第一線での労働者的な立場から解放されたシニア世代の、その先を生きるということの問いかけであったのか、などと考えてみました。

作品を読んでいて一番気になったのは、奥本さんがいかに日常生活の中で触れるものや雑多な経験といったものを大切にしているか、あるいは大切にしようと心がけているか、がうかがい知れるような書き方であったことです。

この奥本さんの生活の中で、倦怠や空虚といったものは、さほどないかのように見えるのですが、実はむしろその逆で、人生や日常に潜んでいる倦怠や空虚から遠ざかろうとして、まるで時間の穴を埋め尽くすがごとく、街を歩き山に登り、バイトをはじめ、日常の細々したものへ視線を向け続けているのではないか、ということが作品の途中から思われるようになりました。

そこに、奥村さんの独り暮らしをはじめた理由も、それが終わった理由もあったのかもしれません。