第159回芥川賞候補作品
『風下の朱』
古谷田奈月(著)
(筑摩書房)
2017年に三島賞候補になった『リリース』から、急速に存在感を放ちだした作家だという印象があります。その後、『無限の玄』で第31回三島賞を受賞し、本作(『風下の朱』)が第159回芥川賞候補となりました。
初読みの手応えとしては、妙な気持ち悪さが残る作品、というものでした(もちろん、良い意味で)。
この作品の中には女しか登場しません。
野球に情熱を燃やす女たちの青春が描かれた小説です。男ばかりが登場する父系の繋がりが描かれた『無限の玄』と共に所収されているというのも、偶然とは思えない意図的な企みが感じられます。
気になるのは、スポーツにのめり込む純粋な体温とは異質なものが、作品全体の底流にあって、それが全てを支配している感覚があるところです。
主人公である「私」は、大学の野球部に誘われるのですが、それは大学から正式に認められていない、しかもサークル申請さえしていない名ばかりの部で、「私」以外の部員は、たったの三名だけ。それでもメンバーたちは、これから部員を獲得して、公式戦にも出場できる正式な野球部をつくりあげることに、夢と情熱を持って活動しています。大学には既にソフトボール部は存在しているのですが、彼女たちが目指すのは、あくまでも野球部なのです。
……と、ここまでは純粋なスポーツ青春小説なのですが、ただ「私」を野球部に誘った部長の侑希美さんの内面にあるものは、必ずしも爽やかで単純なスポーツ愛だけではないようです。彼女が部員獲得の折に掲げている彼女特有の基準は、女性による女性蔑視ともとれる排他的な思考です。
ここで問題になっているのは、女性の「性」そのものではないでしょうか。
女性が肉体を酷使する何らかのゲームに参加する時、常に最良のコンディションを保つことを敵わなくする、女性特有の身体的仕組みそのものを憎み、遠ざけようとする強烈な意志が、そこには存在するのです。
女でありながら女であることを抜きにして、ただ純粋に野球がしたい。
そう願う、無垢な少女たちの心の叫びの先にあるものが、最も描かれるべきして描かれようとしたものだったのでしょう。
彼女たちの願いが本当に叶えられた世界の結末が意味していることを、彼女たち自身が一番よく理解しているというところに、哀歌にも似た切なさを感じました。
そして、誰もが人類最後の一人の自覚で生きている世界の終わりの絵は、妙に美しいとも思いました。
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