群像 2018年 06 月号 [雑誌]

第61回群像新人文学賞受賞作品

『美しい顔』

北条裕子(著)

(『群像』2018年6月号に掲載)

 

 

群像新人文学賞にして、芥川賞候補作にも選ばれるという快挙を成し遂げた作品であります(二年前の崔実さんの『ジニのパズル』を思い出します)。

新人賞からいきなり芥川賞候補に挙げられるくらいですから、(群像新人文学賞の)選考委員の評価も軒並み高いものでした。

特に、辻原登さんと野崎歓さん両氏の選評は、絶賛と言ってよいのではないでしょうか(辻原さんは、選評の全枠を本作品だけに割いています)。

以下は、私の個人的な読書感想です。

 

【感想】

「3.11」の被災者である少女(サナエ、17歳)の一人称語りで、小説は紡がれています。

少女は12歳の時に父親を亡くしていて、以降、母親と弟と三人で暮らしていたのですが、震災で母親とはぐれ、弟と二人だけになってしまいます。

避難所生活を送りながら、母親を探し続ける少女は、テレビ局の取材がやってくると、カメラの前に「美しい顔」を剥きだし、ひたすらけなげな悲劇のヒロインを演じ続けます。善意や良心で送られてくる全国からの「応援」が、なにか異質なものと化して、少女を駆り立てているかのようです。

まさにそのようなことが、あのような現場においては起こりうるに違いない、と想像させること――極限状態の中で、それまでの日常や家族を突然奪われ、常識だったはずのことが大きく覆されてしまった人間が、何を思い、悩み、憎み、求めるのか、といったようなことを、読者の心に想い描かせてくれること――そんな小説の本質的な醍醐味を、大きく捉えている作品だと思いました。

文章の節々から、声にならない少女の絶叫が聞こえてくるようで、このように当事者の内面に入り込んで、その内側から抉られていく痛みを生々しい言葉で迸らせてくる、そんな方法で、あの震災を描いた小説が、これまでに一作でもあっただろうか、と何度も考えながら読み続けました。おそらく、なかったのではないでしょうか。

作者の北条裕子さんは、震災の当時者ではなく、被災地を訪れたこともないそうです。そして、そういう人間が、震災のことを書くにあたって、”罪深いことだと思って”いる趣旨の告白を、「受賞の言葉」の中でされています。この感覚は、あの震災をこれまでに小説の中で扱ってきた作家も、敢えて遠ざけていた作家も、同じくに感じてしまっていたものなのではないでしょうか。

余りにも未曾有の出来事だった故に、あの震災とまともに向き合うことは難しいことだったと思います。多くの作家が、あの出来事とどう向き合うべきなのか、思い悩んだはずです。これほど真正面から情熱を込めて書き綴ることが出来にくかったことを、新人である一人の作家が、破たんも恐れずに書いたのです。

これは、非常に覚悟のいる創作だっただろうと思います。

きれいごとでもなく、ある種の陶酔したヒューマニズムにもとらわれない感性は、新人作家らしい粗削りな文体と構成であるにしても、鮮烈な印象を放っていて、強く心に残りました。

この小説には、「絶望」と「希望」があります。全力で戦っても打ち勝てないほどの大きすぎる不条理を突きつけてくる「世界」があります。

 少女はまさにそんな世界で絶望を体験しますが、それにまともに向き合って泣くことが出来たとき、ようやく自分の足で歩きだすことが出来るのです。

「絶望」を掘り下げてカタルシスで終わるということも出来たと思いますが、そこに「希望」や「未来」の予感をしっかりと描き入れることは、語り手の少女の根底にあった「生命力」の自然な働きとして、必要だったのだと思います。

 

 

【追記】

上の読書感想は、本作品において盗用疑惑が持ち上がる前、件の事実を全く知らない段階で読んだときの、素直な気持ちで書いたものです。

言われているような盗用や剽窃が事実であるとすればとても残念なことですが、講談社さんの発表された声明では、小説という表現についてのすれ違いということも言われていて、非常に微妙な問題であろうと感じます。

この件については、指摘されている作品についても今後読ませていただいて、本作品と慎重に比べてみることで、自分なりに納得してみたいと思っています。

ただ、部外である私のような人間が、今この段階で許される範囲だと思えるコメントとしてさせていただくなら、参考文献の未表示という過失の範囲内であったとしても、やはり残念なことだったと(扱っている題材が非常に重く、デリケートであるだけに)感じてしまったということです。

と同時に、盗用や剽窃の問題は、公の場で物を書く行為をするすべての人が常に気にして誠実に対処していかなければならない問題でもあり、ただ読書感想を書いているだけの私ですが、だとしても決して他人ごとではないという危機感も感じました。

よってこの問題は、私自身も常に気を付けていることではありますが、今後ブログを続けていく上で、より一層しっかりと心がけていかなければ、と改めて思いを強くしました。

以上です