群像 2016年 12 月号 [雑誌]

『トロフィーワイフ』

舞城王太郎(著)

(『群像』2016年12月号に掲載)

 

 

2016年12月号の『群像』に掲載されていた、舞城王太郎さんの中篇小説です。

単行本未収録作品のようなのですが(もしかするとどこかに収録されているのかもしれませんが、よく分かりませんでした)面白かったので、読書感想を書いておきます。

トロフィーワイフというのは、年収や地位などが高く、つまりいわゆる成功者と世間では言われるような男性が、自らの成功への褒賞のように若くて美しい女性を妻にするといった場合の、その妻を指す言葉です。

差別用語ではありませんが、本作では女性の内面を無視して、男性側が自己顕示欲を満たすために、要するに人に自慢するための道具として女性を扱っている、という側面から見ているようです。

そして、主人公である扉子の姉の棚子は、自ら(むしろ積極的に)トロフィーワイフになろうとしている感じの女性として描かれています。

「感じの」とあえて言ったのは、棚子という登場人物にその自覚性があるかどうかが、ぎりぎりわからないところにとどめられているからで、そういう感じに見えるけれど、本当は違うかもしれない、という余白も用意されています。

物語の大まかなストーリーをいうと、昔から優等生で美人でもあり周囲から一目置かれていたような姉の棚子が、夫のある言葉が原因で突然離婚を言いだして家を飛び出し、福井にいる大学時代の友人の元に転がり込んしまい、妹の扉子が、その姉を東京に連れ戻すために福井に向かう、というもの。

人間は状況において幸福を作り出すもので、他人から見たら不幸な状態の者も、ものすごく恵まれた状態の者も、取り換え不可能な状況下では、実は幸福度はそれほど変わらない、という驚くべき学説が小説の基調にあるのですが(この学説を夫が持ち出して持論を述べてしまったことが、そもそも離婚を言いだした元凶でした)、夫婦という早々には取り換えがきかない関係においてこの学説が当てはまってしまうと、つまり人間はどんな相手と結婚していようが結局は幸福の度合いに大差ないということになってしまい、そうなると理想的な妻であることを自負していた(まさにトロフィーワイフである)姉の棚子の、アイデンティティは揺さぶられてしまうのです。

誰かの理想の中に、理想の自分をつくり出して他人を支配しようとする棚子の異常性と、それに気が付いていて客観的に棚子に詰め寄る扉子との言い合いは、息詰まるような迫力でした。

扉子自身も非常に自意識の過剰な人物として描かれていて、彼女は彼女なりの闇を持っているらしいところも、読んでいて面白かったです。

”人間の幸福とは……?”

根本にあるものは哲学的で難しい問題だったと思うのですが、くだけた印象の文体の軽さが全てを駆け抜けていって、読後は実に爽やかな印象でした。