『干潮』
水原涼(著)
(『すばる』2018年5月号に掲載)
祖母が亡くなり、その葬儀に立ち会うことになる「私」。
幼いころに亡くなった祖父のことを思い出す。 それは自分の記憶と、誰かから聞かされた話だったかもしれないものとが溶け合った思い出だった。 |
家族……といっても、両親や兄弟ほどには近くなく、より濃密な関係性の外側にいるような存在でありながら、やはり家族という括りの中にいるという距離感の存在として、祖母や祖父がいます。
この作品に描かれている「死」に、悲しみの感情を感じないのは、そのためでしょうか。
「私」の意識は、幼い日に亡くなった祖父が残したわずかな記憶と、亡くなった後の家族の時間を巡ります。
祖父が亡くなった直後の両親の離婚、弟、母親、そして祖母と暮らした時間。
それは確かに「私」の記憶でありながら、後で誰かに聞かされた記憶や別の知識と混ざり合い、どこか儚げな不確かさで、波のように揺れています。
人間の持つ、時間や記憶、認識の感覚の危うさが実にリアルに表現されていて、そこに確かな手触りを感じました。
「私」の意識は、様々な時間を行きつ戻りつしながら自然に流れていきます。
確かに人間はこんな風に何かを回想する時、脈略もなく揺れているものだ、と自らの感覚と重ね合わてみても、実感できるところです。
記憶とはなんだろうか?
という問いかけに、自然と読者は誘われ、その記憶をどこかの段階で勝手につくり出しているかもしれない人間とはなんだろう?
という所にまで、作品は辿り着いていたと思います。
また、祖母の「死」からくる命のイメージが水と繋がることで、壮大な詩の断片のように迫ってくる美しさがあったと思います。