群像 2018年 04 月号 [雑誌]

『俺の部屋からは

        野球場が見える』

岡本学(著)

(『群像』2018年4月号に掲載)

 

 

 同棲していた恋人の余命があまりないことを知った「」は、その数週間後、大学時代の友人で長らく疎遠になっていた小笠原という男から、手紙を受け取る。

「俺の部屋からは野球場が見える」という奇妙な書き出しではじまるこの手紙は、恋人の死を目前にした「私」の元に、その後何通も送られてくるようになる。

手紙の内容は、小笠原の部屋から見えるという、古い野球場で繰り広げられるリーグ戦のレポートだった。

恋人の状態が悪くなる一方、小笠原からの手紙を、「私」は待ちわびるようになり……

どうやら、プロ野球ではない一般団体の野球チームによるリーグ戦。これが、離れていた二人の男たちの心を結びつけます。

かつて、神や奇跡について議論を戦わせ、意見が合わないままに、疎遠になってしまっていた二人です。

宗教や奇跡の力を否定し自らの意志の力で人生を切り開こうとして失敗した小笠原。

一方の「私」は、常に受け身の立場で一発逆転を期待しながら凡人としての下降線をたどり続けて中年になり、そして今、恋人を病気で失おうとしている。

どちらもみじめな現実に直面している訳ですが、そんな彼らを繋いでいるリーグ戦の戦況は、現実の世界を置き去りに、白熱していきます。

小笠原の目的はなんなのか、リーグ戦の行方は? そして恋人の病状は?

読み終わった時、自分自身の人生のこと(過去、現在、未来)と、この世界そのものの不条理について考えました。

そして、作品に出てきた二つのルールついても考えました。

一つは、人間のつくった、人間の社会にだけ通用するルール。

もう一つは、この宇宙そのものの成り立ちにまで関係する、人知を超えたルール。

どちらを犯すことが、より大きな過ちなのか、あるいはおろかなのか、ということが問われていたように感じました。

岡本学さんといえば、第55回群像新人文学賞を受賞した『架空列車』が真っ先に頭に浮かぶのですが、彼の作品を読んでいると現実(リアル)と架空の境界線がいかにあやふやなものであるのかということを、投げかけられているように感じられてなりません。

なにが本当のリアルで、なにを心の拠り所とすべきなのかを決める自由が、人間にはある。

より生きやすい方を、と言われているようでもあります。