文學界2018年3月号

「もう『はい』としか言えない」

松尾スズキ(著)

(『文學界』2018年3月号に掲載)

 

 

 

 

妻に浮気がバレて、厳しい束縛状態の中で夫婦生活を続けることになった、海馬五郎

そんな彼の元に、エドゥアール・クレスト賞という、フランスの賞を受賞したことを告げる手紙が舞い込む。

「世界を代表する5人の自由人のための賞」という、よく分からない賞だったが、妻との生活に息抜きをしたい気持ちだった海馬は、受賞を受け入れてフランスへ行くことにする。

ただ、彼には不安があった。外国旅行が苦手なのだ。

そこで、友人に頼んで、フランスに同行してもらう通訳を兼ねた人物を紹介してもらうことに。

そして紹介されたのが、日本人とフランス人のハーフの、斎藤聖という、少し変わった青年だった。

 

はじめは、不倫が妻にバレて慌てている情けない中年男の話だと思って、ほとんど期待せずに読んでいたのですが、フランスに行くために空港で待ち合わせた斉藤聖という青年が登場してきた辺りから、物語が格段に面白くなりました。

描かれているフランスが、観光地としてイメージする美しい街並みの華やかなフランスではなく、移民や難民やホームレスや様々な問題を抱えて苦しんでいるフランスだったことに、驚きました。

これが日本人の知らない世界の現実なのだというリアルさと、それを突きつけられて途惑う主人公との対比が、残酷さと滑稽さを同時に醸し出していて、不思議な読み感でした。

文体に独特な人間味がある所も、魅力だと思います。

作者の松尾スズキさんは、俳優、劇作家、演出家、脚本家、映画監督、コラムニスト、小説家……など多彩に活躍されている方で、『クワイエットルームにようこそ』第134回芥川賞の候補に、『老人賭博』第142回芥川賞の候補になっています。