『Matt』
岩城けい(著)
(『すばる』2018年2月号に掲載)
オーストラリアで、父親と二人で暮らしている真人(マット)。
日本には母親と姉がいて、家族が分かれて暮らすようになってから、三年が経つ。 現地の高校(ワトソン・カレッジ)に通う彼は、十年生(義務教育最終年生)になった。 生徒の国籍総数が47か国という多国籍な環境の中、人種や言葉の壁など様々な困難を抱えながらも、明るく生きようとする真人。 だが、そんな彼の前に現れたのは、演劇の授業に参加してきた転校生、もう一人のマットだった。 彼は、真人を”ジャップ”と呼び、自分と同じ名前であることに不快感を示し、事あるごとに嫌がらせを仕掛けてくる。 |
父親の転勤に伴って小学生の頃からオーストラリアで生活してきた真人は、ジェイクやキーラン、JJなど、心を許せる優しい友達もたくさんいて、現地の生活にも慣れています。
英語以外の成績は(特に数学は)優秀で、一見するとなんの問題もそこには存在しないかのようですが、実際はそうではありません。
そのことを突きつけてくるのが、もう一人のマット(マット・W)なのですが、彼が持ち出しているのは第二次世界大戦で祖父が日本兵に受けた残虐な仕打ちに対しての恨みつらみです。真人のことを、一人の人間としてではなく、かつて祖父らに酷い仕打ちをした日本人の代表として、真人を憎み続けているのです。
それに対して、純粋な真人は傷つき、混乱し、マット・Wの理不尽さを憎みながらも、日本人の外見を持つ自分自身を嫌悪します。
そうした状況の中での傷つきやすい少年の葛藤を、少年の視点、少年の語りで描いていて、どこか全体的に幼さを感じさせる文体そのものまでも含めて、とてもリアルだと思いました。
日本にいるとあまり体験する機会がない、多国籍文化の中で生きるということや、オーストラリアの高校生の等身大の日常というものが、直球的な言葉で、きちんと伝えられているところなんかが、とても良かったと思います、
問題の根底にあるものが、第二次世界大戦であるということに、一人の読者として、一人の日本人として、真人と同じ立場にいるのだということも痛感させられました。
この問題の真の解決ということは、とても難しいことなんだな、とも。
完璧に整えられた作品だとは思いませんでしたが、強く訴えかけるものがある作品だと受け止めました。