夏休み (集英社文庫)

『夏休み』

中村航(著)

(集英社)

 

 

 

主人公の「」(マモル)は、妻であるユキと、義理の母親である”ママ”の三人で、都民住宅に暮らしだした。

いつもおいしいお茶を淹れてくれるマイペースな義母との生活にも馴染んでいたころ、ユキの友人の舞子さんの夫(吉田くん)が、突然家出した。

吉田くんは、十日ほど留守にするが、必ず戻るという書置きを残していた。しかし、舞子さんに無断で会社に休暇届を出し、理由も告げずに姿を消したのである。

そんな吉田くんの不可解な行動に対して、自分たちも夏休みをとって旅に出ようと、ユキが言いだし……

『リレキショ』で、第39回文藝賞を受賞してデビューした、中村航さんの作品です。

主人公を含め、登場人物たちはみな立派な大人ですが、どうにも子供のような無邪気さに満ちています。というよりむしろ、彼らにとって無邪気さこそが生きるうえで、絶対不可欠なもので、核であるという気さえします。

物語は終盤にかけて、二組の夫婦の愛情が試される展開になり、主人公の「僕」と吉田くんはその試練を乗り越えて、幸せな結末へと導かれていくわけですが、この大事な場面で勝敗を決するのは、対戦型のテレビゲームです。
どこかふざけているという感じもしますが、彼らはどこまでも真剣です。

ただし実際、本気で彼らが自分たちの未来の有り方を、ゲームの勝敗で決めた訳ではないようにも思えました。

言葉や理屈では説明できない複雑極まる感情に縛られて生きている現代人としての彼らは、何かしらの純粋かつフェアな裁定場所として、ゲーム対戦という仮想現実の世界を必要としたのかもしれません。そここそが、すべてのしがらみから解かれて、純粋に感情を燃焼させることが出来る場所だったように思えるのです。

結果より、むしろ対戦の内容や取り組む姿勢そのものが、重要だったのではないでしょうか。

やり方は子供じみていても、彼らの置かれている現実は、やはりシビアな大人の世界なのが、むしろ強く浮き彫りにされているようでした。

 

通読して、この作品が多くの読者に愛される理由が分かる気がしました。

主人公「僕」の視点は、日常のなにげない場面で小さな発見をいくつも重ねていて、そこに温もりや優しさを感じることができます。

それがとても自然に伝わるので、主人公に同化した感覚の中で、自分もちょっとした夏休みを満喫できたという読後感が残る、そんな作品だったと思います。