第33回野間文芸新人賞受賞作品
『ぬるい毒』
本谷有希子(著)
(新潮社)
「お久しぶりです」
ある日、「私」の実家に、向伊と名乗る男から電話があった。自分は高校時代の知り合いで、昔(高校時代)借りていたお金を返したいという。 今、たまたま近くにいるから、これから会えないか、と男は申し出る。 「私」には貸した記憶はなく、向伊という男のことも思いだせない。 なんとか断ろうとするが、男と話すうち、何となく会うことになってしまう。 実際に会ってみると向伊は、想像以上に魅力的な男だった。 |
主人公の「私」は、非常に自意識の過剰な人物です。
高校時代、地味で目立たない存在でしたが、卒業後に垢ぬけた彼女は、周囲の女友達からは、男に媚びを売っていると囁かれてしまうような女です。そして、そのことに自覚的でもあります。
そんな「私」は、高校時代の知り合いだという向伊やその友人たち(やはり高校時代の同級生らしいが、「私」の記憶にはない)から、表面的には容姿などを褒めあげられ、その反面で垢ぬけたことを強調して指摘されたことで、内面を傷つけられます。
彼女は、「噓」に非常に敏感な嗅覚を持っていて、それは自らも(意識的・無意識的に)嘘つきだからです。
だからこそ、どう見ても胡散臭い噓つき男の向伊に、騙されていると知りながら、どんどん惹かれていき、深みに嵌っていきます。
向伊と「私」を繋ぎとめるものは、恋愛感情とも言えないような、毒気に満ちた不思議な同類意識のようなもののようです。
一人の女の内面が、じわじわと攻撃を受け、ねじ曲がり揺れ動き、微妙な変化を遂げていくところに、作品の緊迫と面白さを感じました。
恋愛を主軸にしているようで、実は、強い自意識を持ちながら生きる、人間の葛藤を描いているのだと読みました。