第35回川端康成文学賞受賞作品
『かけら』
青山七恵(著)
(新潮社)
家族5人で参加するはずだった日帰りバスツアー(サクランボ狩り)に、予定外の事情から、父親と二人だけで出かけることになった、主人公の桐子。
昔から口数が少なく冗談なども言わない父は、桐子にとってあまり興味の持てる存在ではなく、「ただのお父さん」でしかなかった。二人だけで出かけた記憶もない。 どことなくぎこちない距離感ではじまった旅だったが、桐子は、それまで知らなかった父の一面を垣間見るのだった。 |
主人公の桐子が写真教室に通っていて、その教室で出された課題が「かけら」。
なんとなく、掴めそうで掴みずらい、このテーマにはまる写真を撮るべく、桐子は一眼レフカメラを携え、ツアーに参加します。
カメラ初心者の桐子なので、そんなに真剣に写真を撮りまくるという訳でもないのですが、カメラレンズと被写体という関係性が、観察者と観察される側との関係性を連想させるので、ここでは父親とその行動を客観的に見つめる桐子との関係性とも重なって見えます。
そこにさらに、「かけら」についての独自の見解を、父親が桐子に言い放つことで、見るものと見られるものとの関係性は、大きく揺らぎます。
「今見ているもの、ここにあるもの全部」が、何かのかけらだと、父親は言うのです。
見る側の立場だった桐子も、その目に映る世界のあらゆる風景、人、物と同様(父親も含めて)、巨大で得体のしれない”何か”の「かけら」になります。
と同時に、それまで観察される側だった、「ただのお父さん」である父親を、もう一人の観察者(もしくは世界をとらえるレンズ)に変えます。
父娘の微妙な関係と、「見る、見られる」という関係。そして、それらを大きく包み、広がっている世界との関係。
こうした関係が揺らいでいくことによって、事件性もなく静かで穏やかな作品に、独特な躍動が生まれていると感じました。父娘の視線と視線が、行間で交差しているような気配がして、それがとても良かったです。
至近距離から見るだけだと「ただのお父さん」だった父親が、一歩引いた場所から見つめると、だいぶ「カッコイイ」一人の男として存在していて、それがまた近くなると、たちまち「ただのお父さん」になってしまうのも、なんだか面白いな、と思いました。