新潮 2016年 11 月号 [雑誌]

「二人組み」

 鴻池留衣(著)

(第48回新潮新人賞受賞作)

(『新潮』2016年11月号掲載)

中学3年の本間(主人公)は、頭はいいが、クラスではふざけて授業の妨害ばかりするので、教師たちから煙たがられている。

特に、担任兼音楽教師の島田からは、合唱コンクールの練習を邪魔することで怒りを買い続けている。

そんな本間には、秘密の関係を持つ少女がいた。

学力が低くてほとんど口をきかないので、虐められてこそいないが、クラスでバカにされた存在「坂本ちゃん」だ。

合唱コンクールの練習で声が出ないことで、本間とは別の意味で島田に睨まれてしまった坂本ちゃんと、こっそり放課後に待ち合わせてカラオケに行くようになって、一月ほどが経つ。

坂本ちゃんが声を出して歌えるように、二人で秘密の特訓をしているのだ。

歌唱指導だけでなく、そのうちに各教科の勉強もみてやるようになったが、実は本間には、別の目的があった。

本間はただ、坂本ちゃんの身体を触りたいだけだった。

物語りは、本間の目線で描かれながら、一人称ではなく三人称で描かれていて、これは一人称小説に対する作者のこだわりがあるようです。

僕の考えが足りないところも大いにあると思うのですが、一人称だとつい「主人公は小説を書かないよな?」って考えてしまったりもして。登場人物に言い訳が許されない三人称ならば違和感がない。でも、自分にとって違和感がない一人称をいつか見つけたいとも思っています。(『新潮』2016年11月号 受賞者インタビューより)

三人称で書かれていることで、本間と作者との距離感が取れていて、物語の核心である”本間のエゴを見つめる視点”が、より克明に描かれていて、そこがとても良かったと思います。

エゴというのは、本間が他者に対して感知するものだけでなく、本間自身のエゴにまで及びます。本間自身のエゴに至っては、鋭く様々な方向から照明を当てて、どこまでも冷静に見極めようとします。そして、そのエゴの先にある更なるエゴに気付いていく。

小説の中で本間は、坂本ちゃんという、自分よりも劣ると認識している少女への性的欲望を満たすために、そもそもの関係をはじめます。まさにエゴの極致ですが、やがて下に見ているはずの坂本ちゃんへの感情や関係性が、思わぬ方向に変貌してきます。その変貌の中にも、純粋でないものを見つけてしまうのです。

出だしの教室風景の緩い印象からは想像が出来ないほど、本間の行動や思考の複雑な動きなどの描写が研ぎ澄まされる物語り中盤からの面白さは引き込まれました。

淡くほろ苦い青春小説の様相をした、鋭い心理小説だと思います。(星野智幸さんも選評で、”優れた心理小説になっている”と評価されています)

選考委員中、一番評価の高かったのは、川上未映子さんで、

登場人物にとって都合の良いことも悪いこともきちんと描き込めるだけの筆力と観察力がある。(『新潮』2016年11月号 選評より)

としていて、選考の中では若干疑問視されたラストの展開にも、むしろ高評価を与えています。

他者への認識とその関係性が変容する、身体的なその一瞬を捉える手つきは見事であり、さらに良いのは、本間と坂本ちゃんと書き手との距離が繊細に維持されるなかでそれが展開されたことである。(同上より)

なお、桐野夏生さんは、本間という主人公の中学生が魅力的であると評価する一方で、

「坂本ちゃん」の存在が、本間の心理を説明する存在となっているのなら、「坂本ちゃん」はどうなのか。その点が物足りなく感じられた。(同上より)

としています。

確かに、不思議ちゃんとしか言いようのない坂本ちゃんが何を考えているのかというのは、本間の視点から見た部分しか見えず、分かりにくいのかもしれません。ただし、その分、坂本ちゃんの不思議度があがって、キャラクターがより興味深いものにもなっているようでもあります。

また、本間は坂本ちゃんの中にあるエゴもちゃんと見つけていて、ただの不思議ちゃんでは終わらずに、人間としての坂本ちゃんを捉えます。

 

同時受賞した古川真人さんの「縫わんばならん」は、芥川賞候補になりましたが、個人的には決して引けをとらない出来栄えの作品だと感じました。