青色讃歌「青色讃歌」

丹下健太(著)

(第44回文藝賞受賞作)

(河出書房新社)

 

 

二十代後半の主人公(高橋)は、大学を卒業後、五年間フリーター生活である。

恋人(めぐみ)と同棲中である彼は、バイトをしながらバンド活動などをやっていたが、最近、就活をしている。

だが、中々就職先は決まらず、「あっち」(彼が就職しようとしている社会)には行けずに、相変わらず「こっち」(うだうだとしたフリーター生活)側に身を置いている。

高橋が稼がない分を、昼と夜と二つの仕事を掛け持ちして稼いでいる恋人めぐみのことは愛しているが、セックスレスが続いている。

めぐみは、ある頃から、何故か石をコレクターするようになっていた。いろんな場所で拾った石を持ち帰り、その時の思い出をメモ書きしたものと共に、ためているのだ。以前は写真を撮ってためていたが、それが石になったのだ。

フリーターに甘んじている高橋に、めぐみは、猫を探すように言いつける。

以前、ほんのちょっとの間居ついていた野良猫が、すぐに消えてしまったのを、「暇なのだから」探してくれという。中々見つからないでいると、猫を探す用の「ビラ」を作るようにも言われる。

高橋は仕方なくパソコンでなんとかビラを自己製作しようとするが上手くできずに、不労(就職してない)仲間で以前はデザイン会社で働いていた設楽を頼って行くのだった。

こうして僕の「猫探し」の日々がはじまる。

高橋のいる「こっち」の世界と、それに対峙する「あっち」という世界の概念があるのですが、その線引きは曖昧で明確な選別は特にないのです。それでも、何となく言ってるニュアンスは掴めてしまう。

「こっち」というのはフリーター社会とでも言うべきものなのでしょうが、そんな社会が厳密にきっちりと成立している訳でもないし、その反対側の「あっち」にしたところで、「きちんとした勤労者たちの世界」などと言えばそれらしいのですが、やはり内容は曖昧でしかありません。

何を持って「きちんとしている」のか、何を持って「きちんとしていないのか」という線引きも、現代の社会では曖昧であって、本作は2007年度の受賞作ですから、ほぼ10年前に書かれた当時にしても、「勝ち組」「負け組」という括りでは一様に描き分けられない社会の構造が既にあったわけです。今現在(2016年度)でも、あいかわらずそれはそうなのです。そして、本作はそういう現代日本社会の漠然とした空気感を、ちゃんと捉えているのです。

また、主人公やその周りの若いフリーター生活者たちに、悲壮感がなくて、むしろ社会の束縛から解放されている人間の伸びやかさを感じさせているのも、この作品の特徴ではないでしょうか。

こういう伸びやかさは、親の庇護の元に生活する大学生などが持っているような、甘い伸びやかさで、社会の厳しさを知らない者が持つ無垢な感じにも一見似ています。

しかしながらフリーター生活者たちは、社会の労働カースト制の何たるかを既に知っているはずなのです。知っている上での、伸びやかさ、朗らかさ。そこには言語化されない哀惜が、実は滲んでいるのです。

高橋源一郎さんは、

全編に漂う、「乾いたユーモア」とでも呼ぶしかないものこそ、この作品でもっとも大切なものだとぼくは思った。(『文藝』2007年冬号 文藝賞選評より)

としていて、これは文体そのものだけをとって言っているのではなくて、小説全体からそこはかとなく漂ってくる不思議なメロディのような感覚全体を言っているのだと思います。題名にも「讃歌」とありますが、主人公が昔バンドをしていたという設定からも少しだけ伺えるのですが、この小説には言外から漂い響いてくる微かな音色が確かにあるのです。

選考委員の角田光代さんは、

職もなく、恋人とはセックスレスだというのに、妙な充足感が漂っていることや、「あっち」と「こっち」のあいまいな概念といったものもこの小説の魅力だと思う。(同上より)

としながらも、

この小説が書き手個人を超えていない気がして、少々不満でもあった。持っているものを持っている言葉だけで書いたように思えてしまうのである。この作者が、持っていないものを自身を超えた言葉で書いた小説を、とても読みたいと思う。(同上より)

角田さんが言うように、この作品の主人公「高橋」は、三人称でありながらも、おそらくは作者本人の分身だと思えるほどの距離感で描かれていて、等身大な人物像が透けて見えてくる気がします。けれど、これはこの作者の持ち味であるとも言えるので、その「自身を超える」という課題はかなり難しそうです。

藤沢周さんも本作を評価しながら、ただし内容にステレオタイプに流れがちなエピソードがあったので、そこに注意を喚起しています。(それは、「猫探し」の結末に向けてのくだりを指しているようなのですが、映画やドラマのシナリオのように、都合よく流れる感じが確かにありました。)

保坂和志さんもまた、本作を絶賛し、

例年の水準よりずっと上にある。(同上より)

としています。その理由としては、会話の面白さ、緩急のある書き方、さらに書き手自身のスタンスにも着目しています。緩急のある書き方をするためには、作者が作品の外にいる必要があるとし、その上で

登場人物はフリーターとキャバ嬢とパソコンおたく、という一見いかにも現代そのままだが、読んでいくうちにわかるように彼らは全員そういう「いかにも」の世界の外にいる。(同上より)

としています。

世界を見つめる視点、それ自体に、この作品の面白さが隠れているようです。

 

※なお、本作は、磯崎憲一朗さんの「肝心の子供」との同時受賞でした。読書感想はこちら)